久々に
カフェに来てみた。
今、気持ちが
やっと落ち着いた。
実は、
家を出る前に
娘と派手に
やり合ったから。
我が家は
クリスチャン。
午前中は
オンライン礼拝を
ささげる。
子ども礼拝の
クイズの答えを
書いて、
写真を
教会に
送ると言う
日課なのだが
「鉛筆が
うすくて
書けない!」と
娘が
不機嫌そうに
言うので、
私が「Bか2Bの
鉛筆で書いたら?」
と言っても、
いつまでも、
書けないと言って
不満を言い続ける。
早く写真を送って
外出したかった私は、
だんだん
イライラ。
頭ではわかる。
娘は、
私に2Bの鉛筆を
持ってきて
欲しいのだ。
わかっているのに、
何故だろう?
私は
「鉛筆を
持っていく」という
行動より
「鉛筆くらい
自分で探しなさい!
と非難する行動」を
選んでしまった。
結果、娘は泣き、
私は怒鳴る。
つくづく思う。
「愛する」と言う
行為には、
常に
意識が伴う。
「鉛筆がうすい」と言う
言葉の中に
込められた
「お母さんに
甘えたい」という
娘の本当の「望み」を
瞬時に悟る。
そして、それに応える。
この過程が
「愛する」
と言う事になる。
いくら
腹、痛めて
生んだ愛しい
わが子でも
ボーッと
してたんでは
愛せないと
いう事
(これ大事)
私はさっき、
「娘の望みに
気づく」
までは
できたが
「それを
応える」を
選べなかった。
「愛する」には、
意識
が必要だ。
もちろん
私は
聖人ではない。
時間に
追われたり
人間関係の
ストレスで
なかなか
うまくいかない。
そんな
自分を決して
責めない。
ありのままの
私を
受け入れつつ
子供達と
お互いが
幸せな
時間を
過ごしたい。
私は、
そう言う意味で
ピカイチの女優
になりたい。
今、嬉しそうに
ジュースを飲む
娘を眺めながら
数百回はした
決心をまた、
するのである。
目指すは、
ピカイチ女優
日本のアニメキャラクター
韓国でも大人気でした。
キャンディキャンディまで
出できます 笑
