私が家から駅に向かうまでに、猫と戯れる道がある

そこをここ一年前から、猫と戯れる通りと呼んでいる。

私は猫を間違いなく愛している

猫も多分僕を愛してくれていると思いたい

私が近づくと、猫も近づいてくれる


愛というのはなんなんだろう

愛されていると自信がなければ、私は愛されていると実感できない

言葉があれば自信になるのか

では建前の言葉は、愛されているのか

行動があれば自信になるのか

では建物の行動は、愛されているのか

私は分からなくなってきている

相手の腹を割いて中から本音を引っ張りたいとつくづく思う


昔から愛について、よく考えている

もしどちらか1人死ぬという状況で、自分が死ねるなら、そこには愛という感情があるのではないか


昔災害にあった時、母はよく小学生の私に、自分の分のご飯まで分け与えてくれた。

こんな時にまで私に腹いっぱいにさせようとしてくれた愛のかたまりの母である。

人は窮地にたった時の行動で愛かどうか決まるのだ

猫はもしご飯がない時でも私に捕まえた虫をくれるだろうか

もちろん、くれない


愛を確かめる方法なんて、めったにない

だから相手を信じ、自分を信じるしかないのかもしれない

裏切られるのが怖いから、相手も自分も信じないのは、逆に失礼である

猫からの偽の愛も信じることにする


猫と戯れる通りで、猫に愛について考えさせられた

私は猫に愛されている男だ