こんにちは
なんか色々オイテケボリの私デス(^▽^;)
大ちゃんの更新も、『Honganji』の公開稽古も
乗り遅れた感満載(_ _。)
まだ『カンタレラ』も見直せてないし。
今から観るけどw
大ちゃんの露出があると、私がオイソガ氏になっちゃうんだな。。
何をしてたかと言うと、総会の資料作りをしてました。
印刷段階でも予算案がないとか、
今年度の研修計画がないとか色々あったけど
ギリギリ間に合って、何とか昨日終わりました。
あと少し残ってるけど。。
『Honganji』までは全て終わらせて
スッキリ気分で観劇してやる
んで、ちょっとだけ覚書として、昨日の講演会の事書いておこうと思います。
興味のある方は下へどうぞ。
ここまでの方は、来てくださってありがとうございました(^_^)/~
昨日は、熊大のDRを招いての講演会でした。
主題は「自閉症スペクトラムをめぐる最近の動向」について。
自閉症の診断方法がDSM-4からDSM-5に変わった事。
それに伴い、ADHDと自閉症の併存を認めるようになった事。
なにより「障害」の考え方が変化している事についてのお話でした。
他の研修と内容的にはかぶっているんですが、色々考えさせられました。
一番はやっぱり「障害」の考え方です。
『障害は個人に属する問題ではなく、社会や環境に属する問題である』って方向に考え方が変わってきてるんですね。
何度か書いてますが、目が悪い人は眼鏡を、足が悪い人は車イスや杖を使ってますよね。
眼鏡や車イスはどちらかと言うと、障害は個人にあって、それを補うって考え方。
で、バリアフリーとか、点字ブロックとかは、社会や環境の中に障害があって、それを改善するって考え方ですね。
障害者だから、自閉症だから、かわいそうだから、だからそのままでいい。
社会が環境が、障害者側に合わせないのが悪いんだって事ではないですよ(^^;
障害って書くから色々問題があるけど、例えば横断歩道や信号機とか、食品サンプルwなんかも言葉が分らなくても見たらわかるでしょ?
言葉が分らない外国でも、信号機や横断歩道があれば、今横断して良いか悪いか、この道は渡れるかわかりますよね。
障害を持った人が暮らしやす社会って、障害がない人たちも暮らしやすいって事だと思います。
ただ、障害者支援に携わっている人であっても、この考え方が中々理解できない人がいるんです。
もちろん、それは個人の資質の問題もあるんですけどね。
仕事にしている人間が理解できていないと、障害に全く関わりがない人たちに理解してもらおうっていうのは難しいなぁって思いました。
自閉症の方に特化していうと、コミュニケーションの困難さや感覚過敏、忘却ができない等の特徴があります。
例えば、嫌な記憶に直結する「音」がしたとたんに、嫌な出来事がフラッシュバックしてパニックになる事があるんですね。
私たちが感じない程度の音でもキャッチてしまうんです。
そして、それをうまく伝えられない。
だからパニックになるんです。
なぜパニックになるのか。
それを考えていくと、色々見え来るものがあります。
人・物・音・匂いそして時間や、コミュニケーションの方法。
暴れるから、不適切な行動を取るから、だから見れないんじゃダメなんです。
パニックになる原因は確実にその場にある。
それを見つけて、安心して居られる場所を提供すること。それが私たちの仕事なんです。
「自閉症だから仕方ない」ではないんですよね。
それは問題を個人に求めてしまう事だから。
もちろん、療育は大事です。
今は、TEACCHプログラムや行動療法、動作法などなど、色々な療育方法があります。
これだけって一つに特化せず、その人に合った療育を続けていく事は大事です。
子供だけでなく、大人になってもこれらの方法は有効なんだから。
個人へのアプローチと一緒に、環境の改善を行っていく事。
この両輪がうまく回ることが大事だと思いました。
それをちゃんと後輩たちに伝えていかなければいけないんですけどね。
これが難しい。。。(^▽^;)
総会後に別の施設の職員さんと話してたんです。
分ったつもりになるのが一番怖いねって。
そして、今の若い人たちって、それ多いよねって。
二人して苦笑いでしたwww
そしてそして、行動障害のある自閉症の人が来ても「大変だ」ではなく
「わくわくする気持ち」を大事にしたいねって話しました。
障害を持つ人たちが、「障害者」ではなく「個人」として見てもらえる日が来るように、出来る事を頑張らなければ
ですね。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました<(_ _)>
よーし、今から『カンタレラ』見るぞー
もしかしたら夜に感想UPする
しないしない(笑)
なんか色々オイテケボリの私デス(^▽^;)
大ちゃんの更新も、『Honganji』の公開稽古も
乗り遅れた感満載(_ _。)
まだ『カンタレラ』も見直せてないし。
今から観るけどw
大ちゃんの露出があると、私がオイソガ氏になっちゃうんだな。。

何をしてたかと言うと、総会の資料作りをしてました。
印刷段階でも予算案がないとか、
今年度の研修計画がないとか色々あったけど
ギリギリ間に合って、何とか昨日終わりました。
あと少し残ってるけど。。
『Honganji』までは全て終わらせて
スッキリ気分で観劇してやる

んで、ちょっとだけ覚書として、昨日の講演会の事書いておこうと思います。
興味のある方は下へどうぞ。
ここまでの方は、来てくださってありがとうございました(^_^)/~
昨日は、熊大のDRを招いての講演会でした。
主題は「自閉症スペクトラムをめぐる最近の動向」について。
自閉症の診断方法がDSM-4からDSM-5に変わった事。
それに伴い、ADHDと自閉症の併存を認めるようになった事。
なにより「障害」の考え方が変化している事についてのお話でした。
他の研修と内容的にはかぶっているんですが、色々考えさせられました。
一番はやっぱり「障害」の考え方です。
『障害は個人に属する問題ではなく、社会や環境に属する問題である』って方向に考え方が変わってきてるんですね。
何度か書いてますが、目が悪い人は眼鏡を、足が悪い人は車イスや杖を使ってますよね。
眼鏡や車イスはどちらかと言うと、障害は個人にあって、それを補うって考え方。
で、バリアフリーとか、点字ブロックとかは、社会や環境の中に障害があって、それを改善するって考え方ですね。
障害者だから、自閉症だから、かわいそうだから、だからそのままでいい。
社会が環境が、障害者側に合わせないのが悪いんだって事ではないですよ(^^;
障害って書くから色々問題があるけど、例えば横断歩道や信号機とか、食品サンプルwなんかも言葉が分らなくても見たらわかるでしょ?
言葉が分らない外国でも、信号機や横断歩道があれば、今横断して良いか悪いか、この道は渡れるかわかりますよね。
障害を持った人が暮らしやす社会って、障害がない人たちも暮らしやすいって事だと思います。
ただ、障害者支援に携わっている人であっても、この考え方が中々理解できない人がいるんです。
もちろん、それは個人の資質の問題もあるんですけどね。
仕事にしている人間が理解できていないと、障害に全く関わりがない人たちに理解してもらおうっていうのは難しいなぁって思いました。
自閉症の方に特化していうと、コミュニケーションの困難さや感覚過敏、忘却ができない等の特徴があります。
例えば、嫌な記憶に直結する「音」がしたとたんに、嫌な出来事がフラッシュバックしてパニックになる事があるんですね。
私たちが感じない程度の音でもキャッチてしまうんです。
そして、それをうまく伝えられない。
だからパニックになるんです。
なぜパニックになるのか。
それを考えていくと、色々見え来るものがあります。
人・物・音・匂いそして時間や、コミュニケーションの方法。
暴れるから、不適切な行動を取るから、だから見れないんじゃダメなんです。
パニックになる原因は確実にその場にある。
それを見つけて、安心して居られる場所を提供すること。それが私たちの仕事なんです。
「自閉症だから仕方ない」ではないんですよね。
それは問題を個人に求めてしまう事だから。
もちろん、療育は大事です。
今は、TEACCHプログラムや行動療法、動作法などなど、色々な療育方法があります。
これだけって一つに特化せず、その人に合った療育を続けていく事は大事です。
子供だけでなく、大人になってもこれらの方法は有効なんだから。
個人へのアプローチと一緒に、環境の改善を行っていく事。
この両輪がうまく回ることが大事だと思いました。
それをちゃんと後輩たちに伝えていかなければいけないんですけどね。
これが難しい。。。(^▽^;)
総会後に別の施設の職員さんと話してたんです。
分ったつもりになるのが一番怖いねって。
そして、今の若い人たちって、それ多いよねって。
二人して苦笑いでしたwww
そしてそして、行動障害のある自閉症の人が来ても「大変だ」ではなく
「わくわくする気持ち」を大事にしたいねって話しました。
障害を持つ人たちが、「障害者」ではなく「個人」として見てもらえる日が来るように、出来る事を頑張らなければ

ですね。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました<(_ _)>
よーし、今から『カンタレラ』見るぞー

もしかしたら夜に感想UPする

しないしない(笑)