続きです。
1幕が長くなったので、2幕3幕纏めていきます。

の前に前記事の書き忘れ苦笑
太子丹の想いの中には、悔恨があったのではと思います。
嬴政が一番つらいときに側にいてやれなかったことに対する悔恨。
その悔恨が2幕目3幕目に繋がっていくのかなって。
ただ単に国や民を思っての暗殺計画ではなく、心を閉ざした嬴政の解放。
それが一つの理由になってたんじゃないかと思いました。


さて2幕目
下手大ちゃん、中央平田さん、上手龍ちゃんでした。

2幕は仁・義・礼・智・信の五徳が語られてたと思います。
ここでの登場人物は、太子丹・荊軻・秦舞陽の三人と、語りの中で出てくる燕の賢人・田光。そして樊於期。

太子丹は五徳を得ているバランスの良い人。
荊軻も同様で特に義に厚い人。
秦舞陽は今から学んでいく粗野な若者。
そして、田光と樊於期は忠の人として語られていました。

導入は、乱世と民を憂う遊侠荊軻の語りから始まります。
同時期、秦国から逃げ帰った太子丹は、嬴政暗殺を心に決めて動きだしていました。
そしてもう一人。荊軻に敵愾心を燃やす若者、秦舞陽。後に暗殺に加わる若者です。
運命は「嬴政暗殺」に向けて、3人を結び合わせていきます。

この幕は、少し緊張を緩めることができる幕でした。

秦舞陽の粗野さ無知さ、威勢の良さ。
それと荊軻とのやり取りが何ともホッコりさせてくれて。
龍ちゃん全身で演じてました。
席立つんじゃないかと思うくらい(^▽^;)
逆に荊軻の大ちゃんは、とっても落ち着いていて、年長者であり導く者の威厳が見えたかな。
そうそう、ここで大ちゃんの「隙有り!!!!!」が出ました♪
いい声で、自分が打たれた気がするくらい、気のこもった声でしたよキャハハ


筋に戻ります。

「嬴政暗殺」この企てを太子丹が田光に話した際、口止めをします。
その為、太子に疑われたと解釈した田光は自害して果てます。荊軻に太子丹に合うように伝えて。
荊軻は太子丹に謁見し、田光自害の原因と暗殺計画を語ります。
その策とは、嬴政に意見し国を追われた秦の将軍・樊於期の首と、燕の一部地域の献上。
一度匿ったものに対する情けに揺れる太子丹を荊軻は説得し、自ら樊於期の所に行き事の次第を説明します。
樊於期は、恩を返す機会と喜んで自らの命を差し出しました。

そして、計画の実行に当たり、太子丹が荊軻の相棒にえらんだのは。。。
秦舞陽でした。
ちょっと待て!!な荊軻でしたが、そこにいたのは、素直さはそのままに、かつての粗野さは影をひそめ、智と義と勇を備えた秦舞陽でした。荊軻は秦舞陽を認め、秦国に向けて旅立ちます。
ここまでが2幕。

ここの場面、「義を見てせざるは勇無きなり」とか「知らざるを知らずとなす。これ知るなり」とか「朝に道を聞かば夕べに死すも可なり」とか、論語がぴよこぴょこってよぎりました。
田光を挟んでの太子丹と荊軻の心情や、秦舞陽の気持ちの変化とか、樊於期と荊軻の決意にね。
そしていよいよ、荊軻と秦舞陽は暗殺のために咸陽宮に入って行きます。


そして休憩を挟んで第3幕目。
下手前列・大ちゃん、後列・龍ちゃん、上手前列・遊佐さん、後列・甲斐田さんでした。

燕国から旅立ち、ようやく秦国にたどり着いた荊軻と秦舞陽。
浮足立つ秦舞陽を諌めつつ、自らも気を引き締める荊軻。

同じ頃、ドラの音に不安を抱く華陽夫人。
燕からの使者が、樊於期の首と土地の譲渡を持って咸陽宮に来たと聞いた嬴政は、礼を尽くして二人を迎え入れます。
そして宴席にて、首と巻物を検めた際に、ついに荊軻に追い詰められます。
しかし、嬴政の命もあとわずか。と言う所で華陽夫人の機転で難を逃れ、荊軻を自らの手で殺害します。秦舞陽は嬴政の家来に。

その時、嬴政の脳に焼き付いた荊軻の死を恐れぬ眼。
人は裏切るもの、易きに流されるもの。
死を前にしては、自分の信念さえも曲げてしまうものである。
人を信じれば裏切られる。信じてよいのは厳然たる法のみである。
そうやって心を閉ざして生きて来た嬴政は、荊軻の眼に何を感じたのか。

また、死に行く荊軻は嬴政の眼に何を見たのか。
死の間際、荊軻は義を通すことで、他人の気持ちを蔑ろにしてきた部分はなかったかと自問します。
まっすぐに義の道を歩いてきた男は、死を目前にして初めて、自分が知らずに人の心を顧みていなかったのではないかと気づくのです。
嬴政の闇が、それを荊軻に悟らせたのではないかと思いました。

嬴政暗殺失敗。
天帝は緩やかな変化ではなく、例え犠牲は多くても、短い時間での平定を望んだんですね。


終章

始皇帝は夢から覚めます。
隣には華陽夫人とそして琴。

荊軻の死後、嬴政は太子丹の首を手に入れ燕に攻め入りました。
それを切っ掛けとして全国を制定。
かつて丹と誓った戦乱のない世の中を作り上げ、自らを始皇帝と名乗ります。

父は早い時期に死に別れ、母と弟は自らの手で葬り、兄と慕った丹も乱世平定のための生贄になった。

どこまでも孤独な始皇帝の側に残ったのは華陽夫人でした。
全てを見、始皇帝をあるがままを受け入れ、そして癒してきたてきた華陽夫人。
彼女は、それでも自分が信頼され、愛されているとは微塵も思っていませんでした。
琴の音はそこにあるもの。自分の母によく似た手を持つ華陽夫人の琴の音。
つまりは母の琴の音。
それが、心を閉ざして孤独に生きる始皇帝が、何よりも欲したものだと彼女は理解していました。

「華陽の手は、心なしか母に似ている」
この言葉で物語は静かに終わっていきます。
死を前にして、初めて、始皇帝は自分の真に欲していたものに気づいたのかなって思いました。




うーん。。。2幕3幕ただの粗筋になっちゃった

この2.3幕で、私チャン・イーモウ監督の『英雄~HERO~』のを思いだしてました。
始皇帝の真の孤独を理解していたのは、実はその命を狙っていた刺客達だったって思ったんですよね。見た時。
これも、史記の荊軻の一節から広がったストーリーでしたよね。

この咸陽宮でも、嬴政の心を揺さぶるのは荊軻でした。
主役は嬴政と荊軻だったと思います。

嬴政と荊軻は表裏一体の者。ある意味分身。
太子丹は嬴政にとって、自分の物にしたかった者。
支配ではなく、側にいて欲しい人だったんじゃないかな。
唯一信頼できる者ですね。
ただ乱世の世にあって、権力と武力を持った嬴政が、他国の太子である丹を自分の物にするには、その命をとるしか道はなかったのかなって思います。
暗殺計画を立てた丹もそれは同じ。

そして、朋も分身も埋めることのできなかった、心の穴。
それが母親の愛だったんだなと思います。
将来国を背負うものとして育てられた嬴政は、愛着行動も制限されていたのかなって思います。

結論:始皇帝はマザコンwww


ってここまで書いてて気づいた。
これ、全体の語り部は華陽夫人だ!!
男達の愛憎と闘争を外からつぶさに見てる。つまりは客席の視点を担ってたんですね。

なんか、今回は言葉のリズムより、物語やセリフに重点が置かれていた感じがあって、視点も次々に変わっていってたように感じたんです。

でも俯瞰してすべてを見ていたのは、華陽夫人だったんですね。
なんかすごく納得できた。
違うかもだけど。。。。(;^_^A 私はそう思いました。うん。


朗読能の時って、私、感覚機能と脳をフル稼働して観てるみたいなんです。
言葉やそのリズムが表現するもの。
扇面画が与えてくれる断片的な情報。
そして、楽曲。
自分の持ってる知識を左脳から引っ張り出して視覚情報を埋めて、そして右脳で全部を映像化してる感じ。
だから疲れるのかなぁ。

今回は、荊軻が嬴政わ追い詰める場面と、嬴政が荊軻をメッタ刺しにするシーンは、実際に目の前でそりの場面が展開されてました。
だって、大ちゃんが刺されて赤い血色の中で、龍ちゃんに手を伸ばしてる場面が見えたもん。
これは遊佐さんの演技がそうさせたんですけどね。
でも大ちゃんも遊佐さんに引っ張られて、本当に迫真の演技でした。


あと、扇面画ですが、「咸陽宮」と「冠と青い蝶」「蝶と華」のほかに、ウロコ(たぶん龍)の上に冕冠が乗ったもの、そして首の入った箱と地図の絵がありました。
そしてもう一つ。
平田さんがばらしたwwのが、華陽夫人と皇太后を表した、琴を挟んで赤い花とピンクの花が描かれている絵です。

楽器もとても少なく篳篥・楽筝・笙・琵琶そして、ナカタールwww
ナカタールだったよね?
※ナカタールとは、中田さんが作ったインドの楽器みたいな楽器?・・・命名家元夫人
特に楽筝は、雨のシーンで水琴窟みたいな音を出してました。

かなりはしょったので、言いたいことが伝わったかは不明ですが(笑)
あとは、時間見つけて大ちゃんの感想とアフタートークの事が書けたらいいな♪

それでは、お仕事行ってきます。
素敵な1日になりますようにキャッ☆