おはようございますニコニコ

レディべス続きです。

まずは、セットとか装置とか

レディ・べスのセットはヤオヤ盆で、ほぼその上での芝居になるんですけど

私この舞台転換が大好きなんです。

盆て回ってるので、その上を歩くだけで時間の経過や移動、色んな意味での距離感が表現できますよね。

セットに関していうと、最近の舞台ってとっても親切だな~って思うんです。

ここはこのシーンですよって見せてくれる。

逆にいうと、想像させてくれないな~って。。。

日本独特と思うんですけど「見立て」ってありますよね。

その見立てが想像力を掻き立ててくれるというか。。それを求めちゃうんですよね。

あ、話それちゃったww


えと、レディ・べスの舞台は、基本ヤオヤ盆と、後方のリングに映し出される映像、そしてライトの効果で、流れるように場面が変わっていって、みてて楽しかった。

それにとてもすっきりしてたし。

あ、すっきりしたのが好きなのか。。私ww


このヤオヤ盆、かなり傾斜画あったんですけど、その高低差で地形の変化とか地位、心の距離とかを表現してくれました。

例えば、一幕終盤のべスがロンドン塔に入るシーン。
一番高い所が前面に来てそこにべス立ち、その後ろから民主が出てくる所は、民主に支持されるべスを視覚的に見せてくれたし。

和解のシーンでは、メアリーが傾斜を降りてくることで、頑なだったメアリーがべスに心を開いていく過程が表現されてたなぁって思います。
べスが近づいたらダメなんですよね。メアリーが降りていくことが大事。
そして、べスがメアリーと同じ場所に行く事で二人の立場が同等になったんだなって感じられたんですよね。

うん、装置やセットも役者さんや音楽と一緒に「レディ・べス」の世界を語ってくれてて大好きです。




そして、歌う事と歌うようにセリフを言う事について

これは完全に私の感覚なんで、違うと思われるかもですが、その場合はスルーしてください。

以前ある歌手の方が出演された舞台を見た時にも感じたんでが、その時は「歌手だった」「歌うと役の人物じゃなくて、本人だった」って感想を持ったんですね。

そのことを今回思いだしました。

歌に感情を込めることと、セリフのリズムが曲に乗ることの違いって似て非なる物なのかなってね。

うまく言えないんですけど、役と歌に感情のずれみたいなものを感じたんだと思います。

ホンのちょっとなんですけどね。

歌ってるな、役とシンクロしたなって思う部分があったと。

んで思ったんです。「全編歌でつづる」って、そうなんだな~って受け止めてましたけど、歌わず歌うようにセリフを言うって難しいんだなって。

今更なんですけどね

と言う事で、諸々思ったことでした(^∇^)

それでは、良い休日を・・・