2020年11月10日は、早朝から、身の回りの準備を済ませて、錦江湾が一望出来るオープン・デッキに向かいました。すると、そこには既に3人の先客がスタンバイしていました。私達は、ソーシャル・ディスタンスを守りながら、暫く待っていると、徐々に東の空が明るくなり、日の出が開始されました。私達は、動画を含めて、一頻り、日の出を堪能してから部屋に戻ったものでした。

 

部屋に戻ってからは、帰り支度を始めました。ギックリ腰の方も、昨夜の温泉での効能があったのか、着いたばかりの時とは違い、その可動範囲も広がっている様でした。やがて、朝食の時間が来たので、レストランに向かいました。早朝からの日の出チェックが効いたのか、朝から食欲があったので、充分に腹を満たしてから、部屋に荷物を取りに戻り、チェック・アウトしました。

 

正面ドアを出てからは、スーツケースを引いて駐車場に向かい、日産エクストレイルのトランクルームに、スーツケースを収納して、乗り込もうとすると、車体にうっすらとした付着物がある事に気付きました。「もしかしたら、桜島の灰が飛んで来てる?」と思いながらも、持っていたペットボトルの水とティッシュで、ガラスを軽く拭いてから、車に乗り込みました。


九州旅行2日目の、当初のプランは、子供(私達にとっては孫)の成長に御利益がある神社として、唯一ヒットした、指宿市からは、約1時間半の場所にある「三船神社」からスタートする予定でしたが、御朱印ファンの家内から、「現在の場所からは少し後戻りになるけど、行きたい神社があるから行こう!」と言われます。その神社とは「指宿神社」でした。

 

取り敢えず、iPhoneで調べた指宿神社の住所を、カーナビに入力して、出発する事にしました。そうして到着した場所は、伝慶雲3年(706年)に創建された由緒正しき神社でした。到着した直後には社務所に人がいませんでしたが、その内には、出て来られたので、家内が御朱印を貰う間、私は敷地内を散策しながら、撮影に興じたものでした。その後、家内と合流して、指宿神社を出発しました。

 

次の目的地である「三船神社」に向かう前に、慣れない地域を走ると言う事から、先ずは、燃料の補充と空気圧のチェックが必要と考えて、ガソリン・スタンドを探す事にしました。すると、流石の鹿児島県でした。鹿児島県はENEOSの喜入基地や志布志基地を擁するENEOS王国です。当然として、直ぐに見つかります。セルフ給油だったので、店員さんに空気圧チェックだけをお願いしました。

 

空気圧チェックをお願いしてからは、燃料キャップを開けて、限界ギリギリまでガソリンを補充しました。そして、車内に戻ってから、常に記録している補給データをiPhoneにメモしました。そこで計算してみると、キッチリとした計測値ではありませんでしたが、広島から鹿児島指宿までの距離が641kmで、燃費としては13.65kmとまずまずの成績でした。

 

指宿市内の走行は別として、広島から鹿児島までは、アクセルのオンオフやブレーキ操作、ハンドル操作を、プロパイロットの自動制御に委ねていたので、人間のマニュアル制御より、正確かつ的確と信じている私としては、納得の燃費結果であると感じたものでした。初日の指宿への往路では、イレギュラーで指宿スカイラインを利用してしまいましたが、三船神社に行くには後戻りする必要がありました。

 

つまり、三船神社に行くには、海沿いの道を約1時間半、鹿児島市側に戻る必要があったのでした。事前にiPhoneのGoogle mapで確認すると、三船神社は、桜島のビューポイントとしては絶好の場所の様でした。私達は、カーナビに誘導されるままに、順調に三船神社に向かって移動して行き、もう直ぐ到着となった時点で、ある問題に直面する事になりました。

 

リミットの時間まで鑑賞した錦江湾の朝日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重複しまくりの指宿神社の様子です。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「湯船の湯は海水」と決めつけて、軽くシャワーを浴びてから脱衣所に向かった私でしたが、多分、湯船の方は普通の温泉だったのでしょう。後から考えると、砂むし会館 砂楽は、宿泊無しの日帰り温泉施設ですから、大浴場を海水の風呂にする事で、クレームを誘発する事は考え辛く、湯船の近くに「海水」とも表記されて無かった事から、単なる私の早合点だったのでした。

 

その後、フロアで家内と合流して「砂むし会館砂楽」を後にした私達でしたが、改めて、カーナビに「休暇村指宿」を入力して再スタートしました。暫く走っていると、左手に見えて来た古ぼけた感じの建物が「休暇村指宿」だと気付き愕然とします。と言うのは、前回利用した富士宮市にある休暇村富士が、とても綺麗だった印象があった事から、目の前にある休暇村指宿が貧相に見えたからでした。

 

到着した頃は、休暇村指宿の周辺は、徐々に暗くなり始めていたので、建物も暗く見えて、余計に貧相に見えるのかも?と自分に言い訳しながら、駐車場に車を入れようと辺りを見回すと、その駐車場も、休暇村指宿前の道路を隔てた反対側の、野ざらしのスペースで、巡回の人も居ないだろうなと推測出来る場所であったので、それも悪印象のひとつとなりました。

 

フロントで、チェック・インを済ませて通された部屋は、外観に違わずの古ぼけた部屋でした。特にトイレが最悪でした。狭いトイレ・スペースの上に、ドアが開けづらい内開きであっただけで無く、ドアの取手も特殊な形状だったので、結局、慣れる事はありませんでした。腰を庇う動作を見た家内が「腰が痛いん?」と言ったタイミングで、前日のギックリ腰をカミングアウトしました。笑

 

しかし、出発の前日の夜から、ロキソニンテープと腰サポーターを多用して、運転中もベルトを締め上げて、昼にはトイレで貼り替えも実施して、しっかりと養生していたので、休暇村指宿に到着した頃には、座ったり、起き上がったりする動作は、何かに掴まりながらと、多少の不自由さはありましたが、それも時間を追うごとに良くなっているとの私感もあったので、至って楽観的でした。

 

外観と部屋のクォリティにガッカリしていた私達でしたが、夕食は満足の行くレベルだったお陰で、気持ちが一気にリカバリーします。食事の基本コースは「六白黒豚のしゃぶしゃぶ×ハーフビュッフェ」でしたが、ミニビュッフェが、割とメニューも充実していたのがグッドでした。テーブルも基本コース単位で分けられており、他のテーブルを覗くと焼肉や鉄板等々のコースも見受けられました。


しっかりと楽しめた夕食が済んでから、改めてフロントに赴いた私達に、フロントの方から「地域共通クーポン」についての説明がなされました。それにより、3,000円分の土産代をゲットする事が可能となり、そもそも釣り銭は戻って来ない事は分かっていたので、その棚ぼた的な、地域共通クーポンを使って、ホテル内の売店で、それ以上の金額の土産と交換する事が出来ました。

 

その後、私達は部屋に戻って、入浴の準備をして温泉に向かいました。温泉は、これまでの九州旅行で慣れ親しんで来た硫黄温泉ではありませんでしたが、暗い中で感じた温泉の色は、乳白色と言うか、軽い濁りのある色に感じたものでした。予約制でしたが、内湯でありながら砂湯もあり、露天風呂も併設されていたので、タップリと温泉を満喫してから部屋に戻りました。

 

部屋は和室でしたが、テーブルに置かれていた延長ケーブルに、USBの差し込みが装備されていたのを見て、今風だなって感じました。部屋は和室で、窓は山側(駐車場側)でしたが、部屋の直近に、海側に開けたデッキがある事が判っていたので、晴天確定であった翌朝は、錦江湾側から昇る朝日を撮る気満々で、日の出時間を確認後、就寝したのでした。

 

到着時の休暇村指宿の様子です。

 

 

 

指宿スカイラインの風光明媚な気色を、堪能し尽くした後、指宿市内の海沿いの道路に到達した私達は、15時過ぎには、予定変更でぶっ込んだ「砂むし会館 砂楽」に到達していました。久し振りに目にした砂風呂は、当時のイメージとは一線を画するものでした。道路端には、近代的な建物が立ち、中には受付や脱衣所、風呂が完備されていました。砂湯には裏から出入りする様でした。

 

当時にも、砂湯とは別に施設があって、砂湯の後に、身体に付いた砂を落とす為に、海水の温泉に入った記憶もあるので、建物はあったと思うのですが、その辺りの記憶は完全に抜け落ちてますね。ただ、当時の「砂湯」は、拙い記憶を辿ると、学校の運動会で設置する様なテントの下に、数名が、横たわれるスペースが設けられていた、簡易的な場所だった気がします。

 

私達は、若干、道路からは高い位置にある「砂むし会館砂楽」の指定駐車場に車を止めて、歩いて目的地である、砂むし会館砂楽に向かいました。駐車場の前の道路を横断した私達の眼前に現れた施設は、近代的な建物に生まれ変わった「すな湯」ビルとも言えるものでした。エスカレーターで2階に上がって正面入口を入ると、ソーシャル・ディスタンスで区分けされていました。

 

フロアの奥には、受付を兼ねた入湯料金を支払う場所がありました。首に巻くタオルは、砂湯では必須アイテムらしく、持参して無かったので購入する事になります。他にはレンタルのバスタオルと浴衣一式の合計が、1人1,500円と言う結構な金額となりました。家内とはそこで別れて、無料鍵付きロッカーに靴や衣服を入れて、素肌に纏った浴衣姿に、購入したばかりのタオルを首に巻きました。

 

順路に沿って外に出ると、家内が既に待っていました。その後、浜辺に降りる石段を降りて「すな湯」会場に行きました。この時に見た砂湯は、昔のイメージとは程遠い、大掛かりなテントの下に、幾つものスペースが設けられていて、温泉客も、砂を掛ける人も沢山いました。砂を掛ける係りの人は、数名のチームとして編成されている様で、オートメーションの様に、流れ作業で熟していました。

 

私達は、促されるままに砂の上に横たわりました。やがて、私達の身体の上に、砂掛けチームによる、容赦ない熱い砂の波状攻撃が始まりました。そして盛んに「目安は10分程度です!」と言うのでした。「ん?砂湯は10分で終了?やけに少ないな?」と訝しげながらも、体の芯から熱くなる、砂湯に身を任せていました。しかし、10分を過ぎても、終了の合図がありませんでした。

 

しかも、両足の踵が熱すぎて、砂から出していたのを見つけられ、追加の追い砂を掛けられた位でした。30分位経った頃に、家内に目配せされた私は、砂を払い除けながら立ち上がると、全身が汗にまみれて、浴衣が身体に張り付いていました。その後、砂を落としながら建物内に戻り、家内と別れると、係りの若い女性から「そのままシャワーにお進み下さい!」と誘導されます。

 

誘導された部屋に入ると、かなりの勢いで流れて来る、腰の高さレベルに設置された「掛かり湯」がありました。そして、その傍らには、浴衣と帯を回収する容器も置かれていました。掛かり湯の斜め前には、シャワー室が複数ありましたが、その右側に、温泉らしき湯船が見えたので、シャワー室はスルーして腰にタオルを巻いて、湯船が見えた部屋に入る事にしました。

 

すると、その場所は体を洗う設備を有した大浴場でした。しかし、そこで昔の記憶が蘇ります。それは、湯船のお湯は「海水」では?と言う疑問でした。以前に入湯した際には海水だった事から抱いた疑問でしたが、具体的に、お湯を舐めるとかの行動は取らず、湯船に軽く浸かった後、身体を洗うスペースで、軽くシャワーしてから脱衣所に向かったのでした。

 

以下は、砂むし会館と砂湯の様子です。

 

 

 

 

 

 

 

2020年11月9日から11日まで、故:安倍元首相から頂いた「特別定額給付金」を利用する大前提として、当時の流行りだった「GO TO トラベル」として、小学校の修学旅行から始まった縁が、中学校の修学旅行にも繋がり、学生時代のバイク旅行で結実した「GO TO トラベル九州」として、愛車の日産エクストレイルを駆って、駆け足で旅行して来ました。

 

実は、この旅行に出発する前日に、背中から腰に掛けての、鈍い痛みを感じ取った事で、「これは、ギックリ腰に違いない!」と、ロキソニンテープを患部に貼って、その上から腰サポーターを巻き、更にはベルトを締め上げました。全ての予約が完了してる上に、翌朝には出発する予定になっていたので、何とか行けそうだったので、家内には言わずに、就寝したのでした。

 

初日の2020年11月9日は、朝6時過ぎに自宅を出発しました。愛車の日産エクストレイルは、前日には、洗車と燃料の補充、タイヤの空気圧チェックを済ませていました。(腰が痛くなる前の事です。笑)初日のプランとしては、山陽自動車道と中国自動車道を乗り継いで、九州縦貫自動車道で、鹿児島県指宿市にある「休暇村指宿」に一気に向かう事でした。

 

休暇村指宿には、休暇村富士に行った流れで選んだGO TO トラベル指定の宿でした。つまり、初日の行程としては、広島の自宅から、一気に鹿児島県指宿市まで到達する事を目標にしていました。しかし、その後、砂湯(日帰り入浴施設)に寄ってから、休暇村指宿に向かうと言うプランに変更した事で、出発予定時間を1時間程度繰り上げる事にしたのでした。

 

砂湯は、6月24日に投稿した「ユース・ホステルありきの九州旅行 その2」以来の利用でしたが、どんな風に変わっているのか、興味津々でもありました。広島の自宅を出発した私達は、2週間前の予約にも関わらず、素晴らしい快晴にも助けられ、順調に九州に向けて移動して、8時過ぎには関門海峡の本州側にある「壇ノ浦パーキング」に到達する事が出来ました。 

 

ギックリ腰の方も、思っていた程には運転に影響が無く、それも、右手で軽くハンドルを握るだけで、アクセルやブレーキを制御してくれて、自動で走行してくれるプロパイロットの貢献が大でした。少し痛みを感じるのは、車の乗り降りと、カーナビを触ったり、シフトレバーを操作したりする様な、左手を伸ばす様なシチュエーションに限られていたので、問題はありませんでした。

 

その後も、順調に走行を重ね、午後1時前には鹿児島県姶良市にある「桜島サービスエリア」に到達すると言う、謂わば、「指宿」までの行程に、一気に大手を掛けた状況にもなりました。しかも、当初は結構な時間を要するだろうと「休暇村指宿」には、予定到着時間を18時と伝えてあったので、桜島サービスエリアに到達した時点で、かなり時間的に余裕が生まれていました。

 

鹿児島市に入り、桜島を左手に観ながら、海沿いの一般道で、指宿に向かうつもりで、家内にも説明していましたが、ふと目に入った「指宿スカイライン」と言う看板に引き寄せられて、突入してしまいます。「えっ?海沿いの道を行くんとちゃうん?」と、異を唱える家内の声に、「ウッカリ入ったもうたわ!もう行くしかないな!」と言い訳しながら進んで行きました。

 

すると、この有料道路は通行料が僅か100円でありながら、絶好の桜島の撮影ポイント(展望台)を多数有する、正に結果オーライの道路だったのでした。私達は、途中で幾つかの展望台で撮影を重ねながら、指宿を目指しました。その道は、何台かの旅行者と思しき車を見ましたが、地元の車は下の一般道を通行し、旅行者は指宿スカイラインを通行すると言う構図が垣間見れたのでした。

 

 

壇之浦パーキングエリアです。

 

 

 

桜島サービスエリアの様子です。

 

 

 

 

指宿スカイラインの様子です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、そのアルミポールに水の入ったペットボトルを吊り下げると、意外と安定してくれたので、取り敢えずは、その体制で運用する事にしました。しかし、9月15日の宇根山至幸院での、移動運用までは、持ち堪えてくれていたアルミポールでしたが、9月16日の銭壺山での移動運用の終了時には、ポールが途中で曲がってしまい、次の運用には到底使用出来ないとの判断に至ります。そこで、より太いサイズの園芸用のアルミポールを導入する事にしました。ダイソーで2,100mmのポールを購入して、鋸で中間部の1,050mmでカットして、予備を含めた2本を準備しました。

 

次に、第8エレメントへの距離を考慮に入れて、ブームのマストクランプ(約100mm)の、エレメント側の端部からは、アルミポールを約100mmだけ出して、マストクランプの100mm幅に関しては、アルミポールの脆弱化は仕方ない諦めて、蝶ナットとブーム間の約10mmの隙間に、アルミポールを差し込む為に、工具で少しずつ平べったく整形しました。次に、元々使用していたアルミポールを、先端が曲がったままで、新しいアルミポールの中に挿入しました。曲がった部分が、良い感じにストッパーの役目を果たし、必要以上には奥に入りませんでした。

 

続いて、新しいポールの周りにも、3mmφ×600mmの園芸支柱を6本、ランダムに、なるべく均等になる様に取り付けて、ビニールテープで固定して、更なる補強に努めました。その重量は305gと抑えられたので、ペットボトルは、1リットルの物を吊り下げるので、最大量の水を入れても、容器込みでも1.1kgとなり、DO-2B8アンテナの1.2kgと合算すると、2.6kg程度となり、ローテーターの作者さんが書いている許容アンテナ重量の2.2kgからは、現時点では逸脱してしまいましたが、これからの検証で、水の量であったり、補強で入れた園芸支柱の間引きで調整可能と考えています。

 

あと、これまでのローテーターの駆動電力は、9ボルトの電池1個で賄っていましたが、V型ダイポールアンテナでは、それでも充分だと感じていました。しかし、前屈みになりがちだったDO-2B8アンテナの、これまでの運用では、地面の傾斜であったり、風圧に負けたりして、スムーズに回転しない事も多く、その回転力にムラを感じていました。そこで、ポータブル電源に2個ある、シガーソケットのひとつは、IC-705に供給していますが、もうひとつは空いているので、そこにローテーターのケーブルを接続して、少しでも回転力の増強に繋がれば?と考えています。

 

それから、昨年の10月中旬にFT-991AMを購入して、144MHz帯と430MHz帯の、至極の50ワット運用を目論んだものの、取説ありきの同機に馴染めず、年明けにIC-7300Mに乗り換えたと同時に、144MHz帯と430MHz帯は、IC-705の10ワット環境に逆戻りしました。しかし、先日のハムフェアで、コメットから「CLA-705」のトピックスがあった事から、コメットには、以前、発売されたFM専用の、144MHzと430MHz用のブースター「CLA-45」と言うモデルの存在を知りました。そして、ネットで検索すると、殆どのサイトでは品切れでしたが、メルカリで発見しました。

 

しかも、写真で見る限り、機器本体やケーブルにも経年変化を感じさせない、かなりの上物の様でした。しかも、修理明細の日付が2019年11月6日になっており、その際のコメットの修理金額を見ると、保証内との記載があり、料金は無料の表記でした。つまり、出品者が購入した時期も、数年前に当たると判断して、上物風の写真と相まって、私の興味を引くには充分でした。と言うのは、いつ発売されるのかも、SSBが実装されるのかも分からない、現時点では、そのスペックや価格も想像するしかない、CLA-705と比較して、メルカリのCLA-45は何倍も魅力的でした。

 

出品価格は22,980円でしたが、dポイントやメルカリポイントを引くと、21,000円程度になったので、俄然、その気になった輩がいました。CLA-45のスペックとしては、5ワットの入力で、144MHz帯は45ワットとなり、430MHz帯も35ワットにブースト可能との事。多分、CLA-705でも、SSBモードは実装されたとしても、出力的には大して違いは無いと考える事が出来ました。しかも、現時点では144MHz帯のSSBモードは運用した事があるものの、430MHz帯ではSSBを送出した事がありません。つまり、FMモード主体の、運用に偏っているのですね。

 

現在は、とにかく、ひたすらPay payポイントを貯めて、Yahoo!ショッピングを使って、NBCのBL-50TXの2台目と並列接続アダプターが欲しいと妄想するタイミングでしたから、pay payと無関係のメルカリでは、直接的には、ポイントに貢献しないので、顔認証済みのメルカードを利用せずに、pay payカードの利用ポイントのみのメリットで納得して、昨夜、ポチッ!してしまいました。本日、発送の連絡が来ましたので、近日中に到着予定です。到着したら、先ずは申請方法を熟読して、3エリアと4エリアの総合通信局に、変更申請を掛けようと考えています。

 

今年のシーズンは、ご存知の通りで、太陽フレアの影響で、HF帯が開店休業状態であった為、IC-7300MとNBC BL-50TX体制で、出撃する機会も少なく、しかも空振り続きだったので、そのどちらもが、まだまだ新品状態なんですが、取り敢えずは、NBC BL-50TXをCLA-45の電源として、使用しようと考えています。これで幾分かは、50ワット化ロスは解消されそうです。これまでの接続関係に、CLA-45が加わる事で、ケーブル等が足りるのか心配になって、紙に書いてみる事にしました。すると、やはり、足らないものが見えてきた次第です。

 

IC-705には、IWASHN GP-50ポータブル電源のシガーソケットから供給するとして、CQオーム製のケーブルがあります。もう一つのシガーソケットには、ローテーターの電源を繋ぐ予定です。八木アンテナからは、同軸ケーブルをCAT-283チューナーに繋いで、CAT-283チューナーとCLA-45を繋ぐ同軸ケーブルは、既存の3mケーブルを使うとして、CLA-45とIC-705を接続する短い同軸ケーブルが、足らない事が判明しました。IC-705に繋ぐ、M型をBNC型に変換するコネクターはあるので、実際にレイアウトして見て、ケーブルの長さを決めたいと思います。(到着した同梱品の中に接続ケーブルがありましたが、40cm程度の8D-SFA-Liteケーブルに交換予定でいます)

 

9月20日に、初めて光回線契約した頃からの付き合いだったOCNから、KDDIに変更したのですが、これまでは、NTTの無線ルーターのポート解除をして、D-STARのターミナルモードを運用していたのですが、ルーターを変更した事により、改めて、設定作業を実施したものの、IPv6をIPv4に変更する段階から躓き、サポートデスクの助けを借りて、IPv4に切り替えが出来たものの、IC-705側で「管理サーバーが見つからない」と言うエラーメッセージが頻発。結局は、本日のD-STARのロールコールには、間に合いませんでした。明日、じっくりと、設定を見直したいと考えています。(ダウンロード速度はOCNの時よりも6倍になりましたw)

 

 

 

ポールが曲がってしまった岩国市銭壺山です。

 

 

マストクランプの幅を計測しました。

 

 

アルミポールの100mm幅を凹ませました。

(黒マジックと黒マジックの間です。)

 

 

試しに園芸支柱を4本加えてテストしました。

 

 

 

 

105cmの園芸ポールに60cmの園芸支柱を2本加えて完成

(園芸支柱は合計6本=重量305g)

 

 

ローテーターの電源を12Vに変更予定です。

 

 

コメットCLA-45も入手しました。

 

ナガラDO-2B8アンテナが、片側で支える仕様となっている為、常に前屈みになる現象に悩まされていました。その対策をナガラ電子工業に問い合わせた際、アンテナポールを上方に伸長させて、紐をブームの先端に取り付けて、滑車の原理で、下がったブームを引っ張り上げると言うものでしたが、その強度に耐え得るポールも、それを固定する方法も思い付かなかった事から、2024年3月6日に、CQオームで「ナテックNB10Tオールステンレス製アンテナ取付金具」で購入しました。その時には、愚かにも、ブームの逆方向にポールを伸ばすと言う発想が、欠如していた輩がいました。

 

おまけに、その時から、NB10Tよりも更に長い、NB100ナテック・オールステンレス製L型アンテナ取付金具の事は知っていましたが、ナガラ電子工業の担当者さんが、最後部の第8エレメントの近傍部に、金属物を近付けると、アンテナが悪影響を受けるとの回答を得ていた事もあり、NB100を使用すると第8エレメントの位置を越えてしまう為、NB-10Tをローテーターのポールの、下部に取り付けて、木片や金属をブームとの隙間に挿入して底上げしようとしたり、または、上方に取り付けて、マジックテープの、ロングタイプを使用して引っ張り上げようとしたものの失敗しました。

 

その後は、前屈み現象には、敢えて目を瞑り、いつかは、何処かに無理が掛かり、何らかの問題が発生する予感を持ちながらも、使用を続けていましたが、2024年8月18日に、比叡山での移動運用の最終日にそれは起こります。運用場所を変更する際、ローテーターのアルミポールからアンテナを取り外さず、不用意にローテーターのポールを扱った事で、小型ローテーターの本体シェルが破断してしまい、やむなく、新規にローテーターを購入しましたが、現在販売中のローテーターは、モーター駆動部に直結する、アルミポールの長さが、過去に購入した物よりも短くなっていました。

 

それにより、ブームのマストクランプと、NB100オールステンレス製L型金具を、ポールの上下に取り付ける事は、物理的に難しいと感じたので、最初に購入した、ローテーターのアルミポールを使用する流れで、破断した本体シェルも修理する事にしました。瞬間接着剤で何とか固着させた後、その周囲に、ビニールテープをぐるぐる巻きにして、使用できる状態にリカバリーさせました。とは言え、あくまでも予備としてでした。ローテーターの作者さんに尋ねると、以前のポールの再販も可能との話だったので、大船に乗った気分で「いつもの公園」で検証作業をする事にしたのでした。

 

事前に、NB100オールステンレス製L型アンテナ取付金具の、重量を計測してみると、既に600グラムあったので、アンテナの自重1.2kgに対して、L型アンテナ金具の先端に吊り下げる、水を入れたペットボトルの重量を加えると、果たしてバランスが取れるのか?と言う疑問が、一瞬、過ぎったものの、取り敢えずは検証してみる事にします。まず最初に、折り畳みイスを準備して、その中間にガムの容器を置き、アンテナのブームに対して遥かに短い、L型アンテナ取付金具にペットボトルを吊り下げて、水の量を調整しつつ調整に入りました。

 

それにより、何となく均衡が取れたと判断した私は、実際にタイヤベースを準備して、アンテナポールを取り付けて、実戦さながらの体制で、ローテーターのポールにアンテナと、NB100オールステンレス製L型アンテナ取付金具を上下に取り付けて、NB100には水を入れたペットボトルを吊り下げてみました。すると、平置きではバランスが取れていたものが、実戦の配置にすると、微妙にバランスが取れてない現実に愕然としました。しかも、作者さんに検証結果を伝えると、アンテナの重さの1.2kgを合わせた総重量が、ローテーターの限界を越えているので、その体制には無理があるとの指摘を受けました。

 

それを受けて、その組み合わせは、一旦は断念して、DO-2B8アンテナは、アンテナポールに直付けして手動で回す事として、ローテーターを使用するのは、左右のバランスが取れて、自重も2kgのV型ダイポールアンテナのみに使用する事にしました。しかし、諦めの悪い輩は、その後も色々と試行錯誤するのでした。アンテナ取付金具の線は諦めるとして、それに代わるものを考えると、ブームと逆方向にポールを伸ばす方法しかないだろうと、そのポールを何にするか思案します。最初は、家にあった、小型の突っ張り棒を取り付けてみたりしました。

 

しかし、あまりに細く、ペットボトルを支えるのも烏滸がましいものだったので、以前、CR8900アンテナを、後部座席の裏側(トランク側)に簡易フックを、ヘッドレストの支柱を使って4個並べた場所に、横向きに引っ掛けた際、アンテナの変形防止の目的で、アンテナのビニールケースの中に、園芸用のアルミポールを入れて、アンテナの変形を防止した事を思い出して、遽に、ブームの反対側に取り付けるポールの候補が、園芸用のアルミポールとなります。アルミポールをブームに取り付けるに当たり、ブームの端部の四角の穴の中に、挿入する事をイメージします。

 

つまり、ブームに固定しているマストクランプを含めて、ブームに2ヶ所貫通させているボルトの端の隙間を通すイメージで、アルミポールの先端をハンマーで平たくして、ブームに突っ込んでみると、隙間を上手に通ってくれて、15cm程度の深さで、2本のアルミポールを突っ込む事に成功しました。2本のポールはビニールテープで纏めて、試しにペットボトルを吊り下げて見たものの、強度が足らないと判断。追加で2本の園芸支柱を加えて補強しました。その状態で、試しに、水を入れたペットボトルを、吊り下げてみる事にしました。

 

すると、多少、アルミポール群は歪曲したものの、バランスが取れた様に見えた事から、今後はこれで行こう!となった次第です。しかし、2024年9月7日と8日に開催された29FMの移動サービスデーにおいて、再び、検証した時の仕様を再現しようとすると、ハンマーで叩いて整形したアルミポールの先端が、ブームの貫通ボルトの隙間を通らない事態に遭遇して戸惑います。仕方がないので、ブームの穴に通す方法は諦めて、ブームの取付金具である蝶ナットと、ブームとの隙間(約10mm)にアルミポールを差し込み、マストクランプの約100mm幅の両端をマジックテープで固定しました。

 

最初はNB-10Tで試してみました。

 

 

上から引っ張ることを妄想しました。

 

 

上から撮った写真です。

 

 

ベルトで締めて水平器でも調べました。

(現実は前屈みになってました)

 

 

本体の破断を受けて、NB100でも試してみました。

(総重量が3kg近くになって断念しました)

 

 

次に家にあった突っ張り棒を試しました。

 

 

浅い挿入になったので、ビニールテープ補強しました。

 

 

一応、ペットボトルを吊り下げてみましたが・・・。

 

 

CR8900アンテナの保管状況です。

 

 

CR8900とアルミ棒を一緒に入れてます。

 

 

マストクランプとブームの貫通ボルトの隙間です。

 

 

隙間に挿入する為に加工しました。

 

 

挿入したところです。

 

 

更に、3mmφの園芸支柱4本で補強しました。

 

 

横向きで、バランスチェックを実施しました。

(水の量が多かった様です)

 

 

水の量を調節してバランスが取れました。

 

 

29FM移動サービスデーの様子です。

 

鼻から、デンソー製のカーナビは信用して無かったので、この日は、最初からGoogle mapを使用していました。Googleナビは、岩国インターから出る様に指示して来たので、岩国インターから出た私は、路肩のスペースに停車して、LINEで家内に、銭壺山に変更した事を告げて、再び出発します。錦川沿いの新しい道を進み、高速道路がある山側から海側に、一気にショートカットして海沿いの道に入りました。

 

海沿いの道路を銭壺山の方向に進み、約9km進んだところから、右折して山道に入りました。目的地の銭壺山には、2022年5月23日に、嵩山でQRVした帰り道に立ち寄った事がありましたが、それ以来となる運用でした。狭い山道では、運良く離合する事もなく、12時過ぎに銭壺山の山頂駐車場(標高約529m)に到着します。すると、屋根に複数のアンテナを取り付けた車が鎮座していました。

 

これは、被ってしまった?と落胆しながら、その車に挨拶に伺いました。運用周波数を尋ねると、その局は27MHz帯だった事に安堵したのでした。その後、車に戻ると、写真の撮影で来ていた年配の男性が、27MHz局に近付いて何やら話し込む姿が、見えました。私はと言うと、アンテナポールの設営と、デュアルバンド八木アンテナの組み立てに入り、その途中で、先程の男性が私の近くに戻って来ました。

 

すると、その男性は、私の八木アンテナを指差して、それは何ですか?と尋ねて来たので、「アマチュア無線のアンテナですね。向こうの方は、アマチュア無線とは違う27MHzの局です」と言うと、その方はアマチュア無線の27MHzだと捉えていた様で、その違いに頷かれていました。話してみると、昔、アマチュア無線をしていたJA4のOMさんだった様で、思わず再免許して下さいね。とお願いした次第です。笑

 

準備が完了して、速攻でランチを済ませた私は、430MHz-FMでCQを出したところ、広島市中区のJO4局からコールバックがあり、13時29分から交信がスタートしました。交信の中で、開局して2年と言う話をされていたので、元々、無線に興味があったのですか?と尋ねると、お父さんの影響もあり、気に入ったコールサインが、貰えそうなタイミングで開局したと言う話が聞けましたね。

 

更には、既に2アマまで取得している様で、お盆に比叡山からQRVした時にも2局存在してましたが、JO4局は、広島県呉市にIC-7300を利用した、100ワットのリモート局も持っているとの話でしたね。リモート運用にチンプンカンプンの私は、ただただ、そうなんですね。と相槌を打つしかありませんでした。その内には、リモート運用についてを勉強したいと思います。この局とは、JARL経由でカード交換する事になりました。

 

14時4分には、香川県さぬき市長尾町に移動されていたJA5/5局からコールバックがありました。この局とは、1st-QSOながら1時間以上のロングQSOとなりましたが、私が使用する簡易ローテーターに関心を持たれ、口頭でも説明したものの、結局は、誰でもQSLでローテーターの詳細を載せたカードを作成したものと、いつも送付してる移動地の画像を加工したものの2枚の画像をアップロードしました。

 

この局とは、他にもJARL経由でも交換の約束をして、私がトイレに行くタイミングで交信を終えました。時間は既に15時半近くになっていたので、帰りの時間を考慮して、一旦は撤収に入る事にします。しかし、八木アンテナを片付けた時、遽に、モービルホイップでも、QRVする気持ちが出て来た事で、ルーフの中央にマグネット基台を設置して、CR8900アンテナをセットしました。

 

それまで運用していた430MHzでCQを出すも、空振りしたので、144MHz-FMにQSYして、ワッチすると、既知の、JJ6/6局が福岡県田川郡香春町にある大坂山に移動していたので、早速、16時19分にお声掛けしました。その後は、16時40分に大分県大分市のJR6局から、コールバックがあり、交信がスタートしました。この局には、誰でもQSLを勧めたものの、ネットが無いと言われたので、JARL交換となりました。

 

17時丁度には、大分県別府市のJF6局からコールを頂き、交信がスタートしました。この局とは、誰でもQSLとJARLのダブル交換となりました。JF6局に有線電話が掛かって来たタイミングで、交信を終えましたが、時間も押していたので、撤収途中で、家内にはフライング気味に「帰ってる」と送り、撤収を急ぎ、その後は一気に山を下りました。運良く、狭い山道では離合する事も無く、下道まで下りる事が出来ました。

 

下道に下りてからも、海沿いの道路を9km戻り、山間の新しい道路から、岩国インターにアクセスして、岩国インターからは、往路では廿日市インターから高速道路に乗ったので、Googleナビでは、廿日市インターから下りる指示が出たものの、高速道路が速いと判断して、その指示を無視して、一気に五日市インターまで乗り、五日市インターからは、広島高速4号線でトンネルを一気に抜けて、19時前と言う最短時間で自宅に帰り着きましたね。

 

銭壺山からの景色です。

 

 

 

 

最初はDO-2B8アンテナでQRVしました。

 

 

最後はCR8900でQRVしました。

 

すると、144.205MHz付近に、奈良県吉野郡野迫川村 鶴姫公園に移動されていた、強力な信号局であるJJ3/3局と、14時24分から、交信がスタートしました。すると、一緒に移動されていた、JH4/3局からもコールを頂き、どちらもJARL経由のカード交換となりました。14時53分には、大阪府南河内郡千早赤阪村にある、大和葛城山に移動されていたJK1/3局と、144.195MHzで交信がスタートしました。

 

JK1/3局を最後にして144MHz-SSBモードから、144MHz-FMにモードチェンジすると、15時10分に、広島県尾道市向島町の既知のJE4局からコールバックがありました。続いて、15時24分には、同じく向島町の局でしたが、バイクで高見山展望台に移動されて運用している局でした。私が2022年6月8日に高見山展望でQRVした時は、平日の早朝に移動して、猫の額程の狭い運用場所を確保したものでした。

 

バイクの局は、JO4/4局でしたが、JARLには入る予定は無いと言われたので、誰でもQSLの説明をして、ONE-WAYで送る事にしました。既知のJE4局にも説明をして同様の対応としました。15時53分には、愛媛県新居浜市の既知のJA5局からコールバックがあり、17時前までゆっくりとロングQSOを楽しみました。この局にも、誰でもを説明したものの、ご自宅にはネットが無いと言われたのでノーカードとしました。

 

その後は、QRTして撤収作業に入りました。広島市の自宅に帰る道中、家内から「明日も当然行くよね?」と言われたので、本当は半々の気持ちでしたが、「当然、行くよ!」と答えた輩がいました。すると、家内が「私は用事があるから、行けんけど、いつもの公園にする?それとも心霊スポットの峠道?」と来たので、「絵下山にしたいけど単独行動でもOK?」と振ると、渋々の体でOKが出ました。

 

しかし、自宅に着く直前になって、更に攻めの行動に出た輩がいました。「明日の事やけど、絵下山はやめて、経小屋山にするわ!」と言い放ち、様子を窺う輩がいました。と言うのは、絵下山も経小屋山も、最初にQRVした時には、家内が同伴してましたが、広島市内にある絵下山と比較して、高速道路を使用して広島県大竹市にアクセスしてから登る、経小屋山の方が敷居が高いと感じていたからでした。

 

すると、仕方ないと言う体で、了承して貰ったので、内心、ガッツポーズを繰り出しながら、小躍りする輩がいました。2024年9月16日の朝も、前日と同じで、スロースタートとなりました。自宅を10時過ぎに出発した私は、途中で故障渋滞に巻き込まれながら、バイパスを経由して、廿日市インターから高速道路に乗って、大竹インターを目指しました。大竹インターを出てからは、コンビニで昼飯を買いました。

 

経小屋山には、大野インターで降りて、妹背の滝のバックにある山道を進むルートと、大竹インターから降りて、経小屋山の登山道の入口に、アクセスするルートの二つの選択肢がありましたが、前者は狭い山道でもあり、離合が難しい場所もあるので、しっかりと2車線ある大竹ルートを選んだ経緯でした。しかし、これから経小屋山の登山道に入ろうとした時、舗装中の工事現場に遭遇したのでした。

 

登山道の、どのレベルまでの、舗装工事か分かりませんでしたが、経小屋山は諦めざる得ない状況に、「これは、絵下山に行くしかないな」と、家内にもLINEで仔細を伝え、一旦は絵下山に行く方向にしたものの、折角、大竹まで来てるのだからと、路肩に車を停めて、「車で登れる山」の検索キーワードを使ってリサーチするも、経小屋山以外は、ヒットする事がありませんでした。

 

その結果を受けて、2022年5月23日に移動して、遽にパイルアップに遭遇して、とても嬉しかった記憶のある移動地である、山口県大島郡にある「嵩山=だけさん」も行ける?とばかりに、家内にLINEで「近くには車で登れる山は無かった。これから嵩山を目指すよ!」と送って、様子を窺う事にしました。すると、家内から「気をつけて!」と返信が来たので、正式に嵩山を目指す事にしました。

 

とは言え、大竹市の現地から嵩山は、1時間20分の所要時間だったので、躊躇する気持ちもありましたが、他に選択肢が無かった事で、大竹インターから高速道路に乗りました。岩国インターの手前のトンネル内で、突然的に思い出します。「そうだ、岩国市の銭壺山があるじゃん!」銭壺山であれば、嵩山よりも早く着ける事は確実でした。片手運転で、無理筋気味に、スマホのGoogle mapに、銭壺山を入れました。

 

宇根山至幸院の様子です。

 

 

 

撤収間近の様子です。

 

 

片付けが終わって案内板を撮りました。

 

2024年9月15日は、広島県三原市にある「宇根山至幸院」に移動運用に行って来ました。宇根山至幸院でのQRVは、2024年5月11日以来でしたが、その選択には、台風13号の影響が絡んでいました。元々は、広島市安芸区にある「絵下山」か、絵下山は人気の移動地だったので、もし無線局が、被ってしまったなら、広島県呉市にある「灰が峰」辺りでも問題無いと考えていました。

 

この上記の二つの移動地には、トイレが完備されている事も、移動運用にとっては、重要な要素でした。と言うのは、比叡山やいつもの公園、心霊スポットの峠道では、単独行動を許されている私でしたが、それ以外では、お目付役の家内との同伴行動になるので、トイレの有無は絶対でした。しかし、天気予報アプリで確認すると、広島市内は台風の影響を受ける予報でした。

 

そこで、思い切って、三原市に活路を見出したと言う経緯でした。2024年9月15日は、いつに無くスロースタートでした。10時過ぎに自宅を出発して、11時半過ぎに現地に到着しました。この日は、4.5mのポールには、鼻から、ナガラのデュアルバンド八木アンテナDO-2B8を、揚げる予定だったので、IC-705をダッシュボードに配し、後部座席にCAT-283チューナーを準備しました。

 

ナガラDO-2B8アンテナは、29FMの移動サービスデーの9月8日にも、総重量が増える事には目を瞑り、アンテナのブームの逆方向に、アルミパイプを伸ばして、バランスを取る為に、水の入ったペットボトルを、アルミパイプにぶら下げると言う方法を試しましたが、それが、割と順調に回転してくれたので、場所を変えての再検証を兼ねた、移動運用とした次第です。

 

準備を終えて軽く昼食を摂った後、1st-QSOとなったのは、12時38分に430MHz-FMでのCQにコールバックしてくれた香川県善通寺市移動のJF5/5局でした。続いて、12時48分には、山口県光市のコバルト台地に、福岡コンテストで泊まりがけで来ていた既知のJA4/4局でした。この2局とは、誰でもQSLのカードもどきを、ONE-WAYで送る事の了承を頂きました。

 

430MHz-FMのコールバックが途絶えたので、サブ周波数をクリアして、144MHz-FMにQSYしました。すると、13時10分に、岡山県小田郡矢掛町に移動していたJR4/4局との交信がスタートしました。この局とはJARLでのカード交換となりました。13時36分には、広島県廿日市市を移動されていたJR4/4局から、コールバックがあったものの、サフィックスが取れない状況に、突然、救世主が現れました。

 

私が戸惑って、アタフタしていると、私のスーパーローカル局であるYouTuberのJJ4局が、「〇〇さん!この局のサフィックスは、D〇〇さんですよ!」と教えてくれたのでした。私はJJ4局にお礼を言って、JR4/4局に改めてコールを送りました。すると、JR4/4局からもコールが送られて来て交信がスタートしました。その交信終わりに、突然、ある事を思い出したのでした。

 

そのある事とは、このJR4D〇〇/4局は、私が20年振りにD-STARで再開局した、2022年2月1日の21時19分に、交信した局だった事を思い出したのでした。私は4エリアで交信した局は、随時更新する、紙ログで持っているのですが、このJR4D〇〇/4局は、D-STARの紙ログには記載してありましたが、不幸にも通常運用の4エリアの紙ログには記載していませんでした。

 

このJR4D〇〇/4局は、私が20年振りの交信でもあり、D-STARのシグナルレポートの送り方さえも、儘ならない状況に、懇切丁寧に教えてくれた方でもありました。しかも、最近になって、その時のQSLカードが届いた事で、よりJR4D〇〇/4局のコールサインが、記憶に残っていたお陰で、思い出す事が出来たのでした。私は、「廿日市レピーターで、お世話になった方ですよね?」と、不躾に問い掛けていました。

 

JR4D〇〇/4は、「確かに、廿日市レピーターはいつも聴いています。でも貴局が言われた事は覚えていません」と言われた次第です。この局の後には、助け舟を出してくれたJJ4局に、メイン周波数で呼び掛けて、直ぐに応答してくれたので、13時43分に交信がスタートしました。その後は、コールバックが無かったので、気まぐれ的に144MHz-SSBを覗いて見ました。

 

以下は、宇根山至幸院の様子です。

 

 

 

 

 

風圧でアンテナポールが傾いています。

 

 

 

2024年9月13日は、記憶上では既に3回目となる「オクトーバーフェスト」に参加して来ました。今年のオクトーバーフェストは、旧市民球場跡地である「ひろしまゲートパークプラザ」でしたが、私達が訪れた9月13日は、9月23日まで続く、同フェストの初日でした。いつもであれば、ゆっくりと、時間を見定めて参加するフェストでしたが、今年は、どうせなら、暑い時間帯に飲むビールが最高でしょ!とばかりに、スタート時間の16時に合わせて、私用で外出していた家内と、入口で待ち合わせして、16時過ぎから入場しました。

 

すると、スタート時間から大して過ぎてないにも関わらず、既に大勢の参加者で賑わっていました。これは、スタート時間に合わせて、入口には、かなりの人集りが、出来ていたに違いありませんでした。私達は、このフェストに合わせて、少しお得になる前売り券を、購入していたのですが、席を確保する目的で交代で注文する事にして、最初は家内が向かったのですが、流石の初日でした。店頭で、前売り券は、サイドメニューにしか使えないと言われて戸惑います。そこで、私がインフォメーションカウンターで、この件を申告すると、担当の方が怒ったように言い放ちました。

 

「そんな事を言ってるのは、どの店ですか!これから一緒に行きましょう!」と言って下さったので、その旨を家内に伝えて、担当の方と一緒に当該店舗に出向き、アルバイトの認識不足として適切な対応を頂きました。やはり、初日ですからハンドリングミスはつきものでしたね。一方、気温の方は、まだまだ30度を遥かに越えていましたが、この酷暑が思わぬ誤算を生む事になりました。私の気持ち的には、暑い中で呑むビールは最高!と考えていたのですが、最初に頼んだ試飲セット(200ml×4杯=2,200円)の内、僅か600mlを飲んだ時点で、速攻でグロッキーになってしまいました。

 

その原因を、酷暑の中で呑んだからと、家内には言い訳したものの、多分、昼飯をスナック菓子で済ませていたので、割と空きっ腹だった所為で、単純に悪酔いしたのだと、今では理解しています。あの時は、空きっ腹の上に、まだ16時過ぎと言う酷暑の真っ只中だったので、それで既に体力も奪われていて、そんな状況で、後先を考えず、矢継ぎ早に、胃の中にビールを流し込んだので、一気に酔いが回り、もうイイヤ!となった次第です。気持ち的には、思う存分に飲みまくるぞ!と考えていただけに、空回りも甚だしい出来事でした。そんな私を尻目に、家内は存分に楽しんだ様でした。