晴れのち曇り、時々雷雨~息子との日々、時々毒吐き

晴れのち曇り、時々雷雨~息子との日々、時々毒吐き

息子の成長を綴っていましたが、令和元年5月8日に突然父が旅立ってしまい…。言葉も交わせなかった後悔、未だに信じられない気持ちでいること…。私の全てが父へと向かう今を綴ります。

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お父さんのこと、

お母さんのこと、

息子のこと、

主人のこと、

義父母のこと、

弟、義妹のこと、

ニワトリのこと…


私の頭の中は、

自分以外のことで、毎分毎秒いっぱいいっぱいです。




脳がじんじんと痺れるような感覚があります。




不安なことが目の前にあると、

お腹が緩くなってトイレばかり行くのは

割りと昔から。




一昨日もそんな感じで、

『まだ、私、こんな感じなんだな…』って

思いながらトイレに何度座ったことでしょう。




仕事もとてもハードで、

ちょっともう、私には、生きることを含め、

全てがいっぱいいっぱいなような気がしてならないのです。







お父さんに、今の私はどう写っているのでしょう?





数日前にお父さんの夢を見た気がしたけど、

思い出せません。










週の内、5日~6日は母と顔を合わせています。





何があるわけではなくても、

このことが私に、不安や苛立ちを感じさせている気がします。




母という人から感じさせられること…。








テレビでまたに見る、

山奥で一人で暮らすお年寄り。




自給自足で、

仲間とわいわいグランドゴルフをしたり、

腰が曲がっても、一生懸命働いたり。




だけど、時々、町から子供や孫や曾孫が訪れて、

大勢で食事をしたりして。




そうやって、とある山奥で暮らすおばあちゃん。






私は、父が突然亡くなってからの3年5ヶ月、

何となくよく見る感じの

こんな番組のこんなストーリーが

頭に時々浮かぶのです。






それは、母にもこうあって欲しいという

心の表れなのでしょう。








母はとても社交性の高い人なのです。

私なんかよりずっとずっと。





でも、几帳面な人なので、

家のことを放り投げてまで

友達と遊び歩くことが出来ません。




『毎日フリーよ♪』と言う母は、

そのフリーな日々を私にだけ捧げます。




お嫁さんの訪問など邪魔でしかなく、

友達からのお誘いも、私をまず優先しようとします。






父が亡くなって割りとすぐ、

近所の未亡人友達からのお誘いで、

卓球をしに行くようになりました。




ネットでラケットを注文してあげ、

そんな母の変化を嬉しく思っていました。




でも、長くは続きませんでした…。





何だったんだろう…と思うくらい、

遠い昔の、幻のような出来事でした。






近所には、未亡人がとても多く、

助け合いながら生きています。




3年5ヶ月前、何人もの人に

『母を宜しくお願いします』と言う機会があり


この環境を有難く思ったものでした。





中でも大親友がいます。




バカ話ばかりする大親友。




そのバカ話をいつもいつも教えてくれました。




調子が悪いと、夕飯を持って来てくれたり、

またその逆もあったり。




連絡もしてなかったのに、

父の葬儀(家族葬)の際、斎場の外で喪服を着て

立ち尽くしていたHさん。




寂しそうな横顔に

『Hさん?』と気付いたのは私でした。




気がおかしくなっていた母は、

全く気付いていなくて、

それを伝えても驚くでもなく、

顔に表情がなかった母でした。





たけど、そこから今まで母と泣いたり笑ったり、

私以外で、母を本当の意味で支えた

数少ない一人だったのは間違いありません。






そして、このコロナ禍。




ますます母との濃密な日々。




いつしか、Hさんの話など全く聞かなくなりました。





数日前に久しぶりに母の口から出た

Hさんの名前。





Hさんはすっかりコロナに洗脳されてしまったようなのです。




洗脳だなんてすみません。




私はワクチン未接種者なのです。


すみません…。




互いの家でお茶しながらのバカ話、

ランチに行くこと、

絶対無理なのだそうです。




母だって洗脳されている一人だけど、

外食だって、ショッピングだって

何だってする。




だから、Hさんをお茶にも誘う。




Hさんは大きく首を左右に振り、

『ムリ!ムリ!ムリ!ムリ~!』



そんなこといつまでも言ってたら何にも出来ないじゃない!と言っても、


『私はこういう人間なの!!』の一点張り。





だから、母の口からHさんの話を聞けなくなったのですね。






私は、心の底から悲しくて、

腹立たしくて、

恐ろしくなりました。






この3年5ヶ月で、

最愛の父と、母の沢山の楽しみと、

私から自由を失くしました。





まとまりがない内容になりました。






私にはやはり、母という人を

一人でしょい込むのは重すぎるのかもしれません。