2011年代に入りスマートフォンが一挙に広がって行く。馬鹿野郎!と言われ様がスマートフォンは、最早電話機ではない。電話も可能で動画も観られ、相手と通信も出来、情報交換も出来ると言うとんでもないお化け機器なのだ!(何でこんな物創るんだヨ!もうその方は居ないか。)携帯電話は、普及して大凡10年で、専用機が不要とされる時代に入り、一々携帯で話す必要はないと言う時代にもなっている。(兎に角、若い人達には会話は必要なく、スマ-トフォンが有れば何でも共有出来る。好いのか?悪いのかは別だ)待ち合わせ場所で相手が見つからなくても、電話しないで、矢張りメールで「何処?」と聞くのが普通になってしまった。一々電話を掛けて来る人は、古臭いし何だか自己主張の強い親父?つまり空気の読めない人(ワイですか!)と言う扱いである。困った次代だが便利な時代でもある。使えればのお話しですがネ、お父さん・お母さん達!。少し時代を戻して、20世紀の最後の10年、皆で喜んで携帯電話を手に入れた。私も携帯電話を持った時は嬉しかった想いがある。歩いていて電話を掛けられるんですヨ!絶対楽しいとその時は思った。今は?18:00以降は身に付けない様にしている。理由?そんなの言えないよ。只単に忘れてしまうと言う事だ。一人々が電話を持てると言う事は、論を俟たず凄く好い事だと信じていた。多分、未だ信じている人達も多いだろう。只、此れによって人間は間違い無く”個人別と言う区分”ですが、無知(何も発想しない・頭を使わない・考えない?面倒臭い事はしない)な人間に変貌して行く事になる。 個人は元々個人だろう、と考えるのは、江戸時代だって、『皆電車や飛行機が有って乗っていたんじゃないのかと考える位』無知な事で、個人々であるのは個人の力による物では無く、社会が決める事である。段々講釈になるのでや~ぁめた。仕事するわ!仕事が無い!キャ~ぁ。