昔の教育は先生ありきで授業を進めそれなりの成果が発揮されていたと思う。現行での教育はその尊敬すべき先生方に尊敬に値する方々が少なくなったと言う事と、教育と言う部分がある次期を境にして学校から塾に勝手に方向転換してしまったと言う事実です。此れは学校側の責任よりも(無くはないよ!)家庭側の責任が多々多く起こるべくして起こっているのではないかと考えている。昨今国会と言う大舞台で違う意味の先生方が盛んに無論(議論ではない)を展開していますが、国民の税金で実施する語源だけで終わって欲しくは無い物です。私の勝手な理論を記載させて頂くならば、教育には分離して考えるべき事があり、先ず小学校では授業優先ではなく”躾”優先にモラルと言う部分に力を注げる様に変更して欲しいし、従って中学校で授業を実施しても遅くはない!授業と言っても教科書ではなく実践に近い形での教育を進める。英語でも教科書通りには物事が進まない事は先生方も判っている!成らば何故?サラリ-マンゆとりがないと言う事と、先生方同士の世代間格差を物凄く感じる!。少なくとも人に物事を”教える”のですから、教える事の難しさを経験してこそ先生と言う定義になろうかと思っています。段々難しくなりそうなので・・。