人間が人間の価値を決めている以上差別や偏見と言った類はきっと無くならない。即ち現在の社会に於いては仕方の無い事と片付けられてもいる。今回、学校の先生が生徒に対する語源や態度の過剰差から自殺にと言う記事が新聞各社の紙面を賑わしていますが、此処で問題なのは人間が人間の価値を決める過程で、一番やってはいけない事として”申し送り事項”と言う項目が必ず発生している筈です。此れが将来評価された人間の良し悪しを言葉で決めてしまうと言う危険な行為だと思っています。言い換えて会社社会で、私の友人も経験があり悩んでいました。会社生活の中で組合と言う厄介な長物が存在する。今になっては必要悪の典型で誰も(少なくても私はね!)存在を望んではいないと言うのが現状だと考えています。そんな中組合の幹部が他の会社へ移った事から明るみに出た事ですが、次の幹部組合員にその方が申し送り事項をしていったと言う事!偶々、その余人が私の知人で語ってくれた事で、その詳細はこの人は組合活動に対して有害な人種で時として不必要な人と言う評価です。当然会社側もその判断をしている事でしょうし彼の評価はこの会社に居る以上永遠に変わらない評価だと言う事を思い知らされた。何故?と言う部分はハッキリ判っている。理由は、その方が職場に居た時、彼の部下で私から言わせれば仕事は出来ずタバコ休みが多く、職場で居る位置が無くなった為組合活動を始め運良く組合幹部社員に登用された経緯です。既にお判りだと思いますが、今の社会で虐めが無くならないのはその様な事が実際子供でも大人でも起きていると言う事実に目を背けてはいけない。