今は、デジカメ、携帯の写メのクオリティが格段に良くなって、
簡単にあらゆる、風景、思い出を画像として保存することができる。
写真を撮るという行為は昔から苦手だ。
必要以上に写真を撮る行為は、人がその風景、思い出そのものを
目に焼き付けるという能力を劣化させていると思う。
あんなに死に物狂いで、躍起になり、
一分一秒をあらそって写真を撮ろうとする姿は不可思議そのものだ。
本当に自分にとって大事な瞬間、断片は
自分の脳に刻み込まれる。
それは、どんな写真よりもクリアで鮮明で自分自身に儚さをもって
語りかけるものだ。
だから写真なんかとらなくても、それは「心」に残る。
写真は自分のためのものではない。
誰かに見せるためのものだ。
今、とった写真はコミュニケーションツールの手段となっている。
自然なコミュニケーションが取れなくなった人間達が
写真を撮るというツールを通じて
必死でコミュニケーションを図ろうとしているのだ。
それ自体は、時代の流れでもあるし、否定はしない。
でもそれでは、自分自身を満足させることはできない
それらは「心」に響かない
ただ、一瞬の満足感を充足させるに過ぎないのだ。
満足できないから、
また
撮る
撮る
撮る
撮る
撮っても撮っても満たされぬ「心」
いわば、現在の肥大化したメディア社会が生み出した
中毒性をもった精神病といっても過言ではない
写真を撮ることが好き、趣味です。
大いに結構
でもそれを職業にしている人を除き、
必要以上にそれに執着している人は
ある種病んでると思わざるを得ない。
本当にいい景色は
みながいい景色と評価する景色ではない
それは自分にしか評価できないのだ。
それを思い出し、他者の評価を気にしない強靭な強さを手に入れられれば
人に見せるための不毛な写真は、もう必要ないはずだ
己を貫き、
ぶれない思い
大切にしよう