それは人のしての器量の大きさを狭める行為です


人を嫌いになるということは


ある自分の能力の致命的な欠如を示します


その能力とは


相手の良いところを見つける能力





私はともするとこのあまりにも当たり前な真実が


頭からすっかり離れてしまって


人をあまりにも短絡的な考え方から嫌いになり


同様の友達とのシナジー効果により


それが増長されるというサイクルを


繰り返してしまいます





それを指摘してくれる友達って素敵ですね


うん


素敵です


私にはよき友達がいてくれてよかったです

昨日まで韓国に旅行


私の腐れ縁と一緒に行ってきました


目的はボルトを見に




結果はみなさんご存知


久々にピュアな気持ちで


本当に純粋な気持ちで楽しみにしてたので


少し残念でしたね


いやかなり残念でしたね




ただ、たくさん大事なことに気付いた旅行でもあった




一つは


腐れ縁とはこれからもずっと


不思議な縁でつながってるんだろうなということ


俺は人として


人間として認める人間というのは少ないけれど


彼はやはりすごい





二つは


英語を話せると世界が広がるねってこと


英語を話せない俺は


すごい狭い世界でしか生きていないということを


実感した


日本には日本の価値観があって


韓国には韓国の価値観があったけど


韓国人はなんと心優しいことか


あそこまで心の広い人間というのは


日本にはなかなか存在しないのではないでしょうか


反日と叫ばれ、長い歴史の中で深い溝ができてしまったようだけど


一個人


一友人に対しては


あそこまでフランクに


あどけない心をもって


接することができるのだ


自分が恥ずかしくなりますね


あどけない心はどこに捨ててしまったのだろうか


幼稚園?


小学生?


中学生?


高校生?


思えば物心ついたころから


心が歪んでしまっていたように感じますね






三つは


これがたぶん一番なんでしょうが


このままではいけないと思いましたね


要は仕事を本気でがんばってみようか


ということです


外を見ると


自分の努力がどれほどのもんかが分ります


こんなことを言っちゃなんですが


私の働いている会社なんて


あまちゃんです


でも


外を見ないと


そのことにすら気づけない


そこに気付けたことが


この旅の収穫ですわね

26歳になったときのことなんか


想像したことがあっただろうか




俺が想像してた26歳ってもっと大人じゃなかったか??


俺が想像してた26歳って


なんだろう


高校生の頃から俺は


何が変わったというのだろう




25歳までの俺は


どこか小さくまとまっていたな


もっと偉そうにしていいんじゃないか


もっと自信をもっていいんじゃないか


もっと人を好きになっていいいんじゃないか


もっと恐がらず進んでいけばいいんじゃないか


俺は


もっと強くならなきゃいけないんだと思う





25歳までの俺は


ただただ人が恐かったんだ


自分を知られるのが恐かったんだ


26歳からの俺はさらけ出せばいいんじゃないか


もっとかっこいい30歳になるために