待つことが苦手な、私。
今日は、仕事を早退して息子の授業参観に行ってきた。学校が苦手なのは昔からである。だが、親になってからの苦手意識とは、また違うものだなと思った。学校特有のあの空気感しっかりとグループ分けされているあの空間良くも悪も、全てがお手本にされているかのように錯覚する感覚誰も悪くないのに張り詰めたような空気まるで、品定めしているような交差する視線意味が理解出来ない本のような分厚い壁に覆われているようなある種、特別な世界の中に閉じ込められているかのような気持ちになる。集団行動や、行事はどうも苦手すぎる。意味や、必要性が理解できないことが根本にあると思っていてその問いに、答えてくれない不誠実さ普遍的な正義にある。「やらなきゃいけない事だから」「みんな普通にやってることだから」「どうしてそんなこと考えるの?」そんな言葉たちであしらう事しか出来ないような事柄を真剣にやれという方がおかしいと思っている。苦手言えば、待つことも苦手なことの一つである。人を待つこと返事を待つこと煮込み時間を待つこと髪が乾かしている間お風呂が沸くのを待つ間エレベーターの扉が閉まる間人生には、あらゆる待つ時間が発生する。待っている間相手が何をしているのか、事故にあったのではないか、たった数分何をしていればいいのか、私には、永遠のように感じる。そんな時不安が一気に溢れてくるのを大丈夫、大丈夫、大丈夫何も起きない何も怖くない最悪な状況は乗り越えてきたただ、待っていればいい私の魔法の言葉待つ時間は、基本的に未来の予測ができない常に予測を立てることで私は、安心を得ている。即ち、予測を立てられないことは安心出来ない思考になる、予測を立てるにあたって、1 最悪の状況を考える2 最悪にならないための最低ライン設立3 複数パターン良好なラインを設立4 結果からできる限り枝分かれした未来予想(相手がいる場合その人の性格や、言動パターン別に準備する)5 過去の私の失敗パターンを予習6 自分に理念、正義、倫理に背いていないか7 未来の私が後悔しないかこれらが、常に思考し続けている待つ時間は、これらに思考が出来なくなる結果は大半変わらないからだ待っていれば、時が来れば、自分ではどうにもならない結果が、あっちからやってくる。思考する必要性が奪われる虚無感に襲われる常に思考して生きている私にはとても恐ろしい時間思考しないことで起きる可能性が0になる感覚とても怖い思考しなかったことが後悔にならないか思考しても意味がないだろう意味がないことはしないでも、意味がないかの保証は誰もしていないだろうだったら考えるべきか?何を考えるのか?考えるべきだろう。そんなことばかり冒頭に、安心を買っていると書いたが安心を買っているのではなく不安を消しているのだな。と思っただから、思考を止めると不安になるのだと。この思考を人に話すと「そんなこと考えてるの?」「なんでそんなに考えるの?」「考えた通りにならないかもじゃん」「考えてもどうしようもないこともあるじゃん!」など、さまざまな意見を頂くまあ、想定内かな、と思うこうして、所々で答え合わせすることで仮定を立て易くしている面もあることを相手は知らない自分の思考だけでは、どうしたって限界があるだからこそ、人に沢山の質問をしてしまう癖があるなんでそう思うの?あそこで私が違うことを言ったらどう返事してた?あなたから見た世界はどんなところ?好きなのも、好きなこと、好きな色、好きな人、嫌いなもの、嫌いなこと嫌いな言葉、嫌いな色どんなきっかけや思いがあるのかそれを聞くのが私は、とても楽しくてたまらない。私は、自分と交わらないであろう人と話してみたい私の知らない世界があることを証明してくれる人と話したい私は、深く考えすぎる人なのかもしれないが、思考は自慢や切り札ではなく深めるものとして自分と向き合ってありとあらゆる可能性を何に役に立つかではなくまだ見ぬ未来のために深めていきたいこれらの思考交換が楽しいのはその人の思考に癖を知りたいのだと思う。思考に癖が分かれば未来の言動を少しだけ具体的に予測することが可能になる。予測が立てば私は安心できる結局私は「待つこと」が怖いから先に知ろうとすることで安心したいだけだろう。今日は、ここまで。また何か書きたくなったら戻ってくる。。