沖縄では昔、車は道路の右側を走っていた。
米国の施政権下にあったからだ。
それが一夜にして右から左になった。
その日が7月30日だったから「ななさんまる」と呼ばれた。
1978年のことだ。
もう46年前の出来事だ。
その日私は通っていた大学に通うため路線バスに乗った。
そのバスが後続の路線バスに追突された。
事故は那覇市内の崇元寺バス停に停車中起きた。
後ろのバスが先に出ようと追い越そうとして、
バスの左前と私の乗ったバスの右後ろがぶつかったのだ。
私は後ろから三つ前の右側に座っていた。
後ろの窓に後続バスのサイドミラーがぶつかった。
窓ガラスがこなごなに飛び散った。
人身の被害はなかった。
その日はあちこちで路線バスの事故があった。
道路から畑に転落した路線バスもあった。
運転手たちは訓練は受けたようだが、
実際に路上を走るのはこの日が初めてだ。
左側だった運転席が右側に変わったために、
距離感がつかみにくかったと思う。
私は大学にいつもは車で通っていたが、
この日は交通方法変更の初日だったので、
大事を取って路線バスで行った。
それが裏目に出たとは思わない。
追突の事故だけで済んで良かったと思う。
ラッキーだったのは追突された場所が、
降車予定の安里バス停の一つ手前だったのだ。
予期せぬ事故で降車を余儀なくされた乗客たちから、
バス運賃は取らなかったのだ。
崇元寺バス停から安里バス停までは歩いてすぐだ。
バス賃がいくらだったか覚えていないが、
大学内の食堂で、
メンチカツと沖縄そばが食べられる金額はあったと思う。
「ななさんまる」から数日たったころ、
宜野湾市内の市道で前方の車とすれ違う時、
お互いに右側を通過してしまったこともあった。
砂利のでこぼこ道だったのが幸いして、
お互いゆっくりした速度ではあった。
相手はYナンバーだったから良かったかも。
沖縄の人だったら「ななさんまる」を意識して、
左画を通ろうとしたかもしれない。
そうなると正面衝突だ。
嘉手納ロータリーを「ななさんまる」後に初めて通ったとき、
砂辺辺りから頭の中で、
ロータリーを通過するイメージを何度も描いた。
回り方が右左逆になるので意識を変えないといけなかった。
「ななさんまる」しばらくして、
我が家の自家用車を右ハンドル車に買い替えた。
父の車だが父を職場に送って後は迎えに行く夕方まで私が使った。
それを買って1週間でバックする際に電柱にぶつけてしまった。
これも私にとっては、
「ななさんまる」にまつわる出来事の一つだ。