new nice old good

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過ぎし過去を思い、来るべき未来に思いを馳せる

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三連休も同じ月に連続して二回あると、どうやってすごしたらよいのか、少々とまどってしまう。
元気のよい人は近場へと繰り出しているかもしれないが。
いつのころか、この秋の連休シーズンをシルバーウィークと呼ばれたこともあったが、あまり定着しなかったようで、この呼び名はすっかり影をひそめてしまった。
そうだろうなと思う。
夏休みが終わってからひと月もすぎていないこの時期、また浮かれて遊ぶのも心身金の負担が大きい。


ところで、この時期になると芋煮会のことが話題になることが多い。
はるかな昔に、当時、通っていた会社で山形出身の同僚に誘われたことがあった。
「芋煮会をやるから、こないか?」
「イモ二回?」
「いやいや、芋煮、会」
「イモを煮るかい?」
「そうだ、芋を煮てみんなで食べる」
「うぅん、うまそうだな。残念なんだけれど、その日はちょっと都合が悪い」
「そうか、じゃあまた来年誘うよ」

その来年には、お誘いはこなかった。

その頃は、芋煮会という行事のことを全く知らなかったことと、参加予定メンバーのほとんどが同県人だったので、二の足を踏んだわけである。
また、芋では何かショボイ感じだった。

ひと月後、部署で行ったバーベキューには喜んで参加したのだから、やはり外で食べるのなら、焼いた肉でしょう、などと考えていたかもしれない。

結局、その芋煮会は県人会として実行されたようだった。
今となってみれば、芋鍋というのも山形のソウルフードともいうべき大事なものなだと分かるが、その頃は、わざわざ外で芋を煮て食べるということの意味が良く分からなかった。

芋を食べることには違いないが、「みんなで」という所がミソなのであろう。

おっと、山形の鍋はしょうゆ味だった。
ソウルフードだから、このあたりはなかなか厳密で、隣の宮城県では味噌味で仕立てると聞いていて、あの味付けは邪道だとお互いに言っているらしい。


いづれにしろ、貴重な経験の機会を逃したものである。





^^
 

つい先日のこと、長く休館していた区立の中央図書館がリニューアルオープンした。
建物の外観には変化は認められないものの、1年間をかけて耐震補強の工事をしていたはず。
図書の貸し出しは別の館が行っていたので、とりたてて不便ということは感じなかったが、それよりも、1年間もかけて行う工事の結果がどのようなものかが知りたくて、いそいそと出かけていった。


館内に入ると、確かに耐震補強をしたという梁の補強があちらこちらで目立っていた。
以前は大きなホールという雰囲気だったものが、だいぶ変わってしまっていて、イメージとして一番近いのは、ビヤホールだ。
そしてスタッフと呼ばれる働いている人たち。

もともと区の施設なのだが、数年前から民間の企業に業務委託されていたので、働いている人たちは、区の職員ではない。
しかし建物のリニューアルを受けて、イメージアップを図るようになったらしく、入口を入ると、すかさず「こんにちはぁ」と背中の方から若い女性が声をかけてくる。


だいぶ前から館内のカウンターで本を借り受けるとき、
「ありがとうございました」
とお礼を言われるようになっていたのだが、今度は入館のときの挨拶が加わったわけだ。

うぅむ。

これで、あとは「いらっしゃいませ」と言うようになったとすれば、少々ボンヤリ気味の私は、つられて

「大ジョッキを一つ」

と言ってしまいそうだ。



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 猛暑で、豪雨で、酷暑で、記憶にないほどの豪雨で、新記録の高温で、豪雨で、酷暑で、豪雨で、竜巻で、豪雨で、雷で。

忙しい夏だった。」
 今日の東京の最高気温は、30℃だったということで、これはずいぶん涼しいと感じる一日だった。
 そして気象情報では、日本列島の中心に伸びている半丸と三角が並んだ線、つまり停滞前線のことを秋雨前線と呼んでいた。
 梅雨前線が消えたと聞いたのがつい先日であったような気がするのに、もう秋か。
 今年の春先は寒暖の差が激しくて、花ごよみというべきか、色々な花の開花時期が大きく違ってしまったが、その変調はいまだに続いているようだ。
このような状況を天変地異の前兆だ、という人が少なからずいて、それも毎年、同じ言葉を聞くので、このような人の言うことの全てが正しいとするならば、そろそろいい加減に予備の地球を取り出してこないと、やばいのではないだろうか。
 あまりの気象の激変続きの影響のせいか、ベランダのサトイモ科のスパティフラムは今年はついに成長を止めてしまった。
白い蕾が、一月も閉じたままでいる。
 まあそのような異変の気候であっても、空地に繁った「萩の花」は満開になったのだから、地元の草というものは本当に強いものだと感心をする。
このような景色を見ていると、秋のあんころモチが「お萩」と敬称をつけて呼ぶれるのだという説明のされ方も納得ができるような気がする。
 萩は、花は控えめな印象なのだが空地の全体を蔽ってしまうほどに繁っていて、ススキなど他の草を隠してしまうような旺盛なその生命力の強さには「看板に偽り」といったところだろうか。


可憐さに騙されてはならない。
うぅむ、人生訓みたいだな。





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ビールにはどの程度の濃度でアルコールが含有されているか、ご存知の方も多いことと思うが、「世界は広い」の言葉通り、ビールなんて水代わりの飲み物だよ、と考えていた私には新鮮に感じられるお土産だった。


トランクいっぱいに詰められたベルギービールをいただいた。
飛行機にしろ、新幹線にしろ長い時間、客席にじっと座っているのが苦手なせいで、仕事の関係以外ではあまり旅行をしないのだが、お土産はしばしば貰える。
やはり人徳というものだろう。

さて、このベルギービール。
十何種類かがあり、その一つ一つのラベルをみていくだけでも楽しい。
ただし、何語だか瓶を逆さまにしても読めない外国語で書かれていて、もちろんのこと日本語表記はなく時折、英語が書いてあると簡単な単語ばかりでこの部分だけがかろうじて読むことができる。
こんな文字が書いてある瓶があった。

The Storngest Belgian Beer

アルコール度数は13度である。
ワインと同等かそれ以上の濃さであり、他の瓶を見ても皆8度以上の高濃度である。
これでは喉がかわいたからといって、水の代わりにがぶがぶと飲むわけにはいかない。
そんなことをしたらどうなるか、火を見るよりも明らかである。


そんなことを考えながら、ふと思い出したことがあった。
十数年前のこと、そのころの私はまだ新聞を読む習慣があった。
日本の良心を代表すると言われるその新聞を隅からすみまで読むのだから、結構、時間がかかる。
時間がかかってもすみからすみまで読んでいると、小さいコラム欄に、次のようなことが書いてあるを見つけた。
曰「ヨーロッパのビールは、アルコール度数が高く、人々はなめるようにしてビールを楽しんでいる。薄いビールをがぶがぶと飲む日本の習慣はいかがなものか・・・」。

この新聞記者は、自分のベルギーでの体験をヨーロッパ全体のものと錯覚して、日本の習慣をたしなめたいようだったが、ベルギー以外の国のビールはこれほどアルコールが濃くはない。

ドイツやオーストリアのように大きなジョッキで飲むような「薄い」ビールが主体の地域が普通である。
ベルギーは特殊、もしかするとイギリス島の焙煎ビールが濃いかもしれないが、ヨーロッパを旅行した人たちから聞いた範囲内では、やはりビールは嘗めるものではなく、豪快に飲むように作られているとのことだった。
件の新聞記者氏は、もしかしたら13度のビールを一気飲みでもしてしまい、やはり欧米には敵わないと、自己反省でもしたのかもしれない。

ふうむ。

ビールは、ホップの苦みが命だ。
美味しいビールを飲むのなら、ホップにこだわった銘柄を選ぶのが賢明だ。

ところで、ベルギーで一番強い(アルコール度数の高い)ビールを飲もうと思ってもよほど大きな酒屋にいかなければ手に入らないので、とっておきの方法をお知らせしたい。

その方法は、ホッピーを1本と「中」をダブルで注文すると良い。
ほとんど同じ味がすること、間違いなし。


                 
new nice old good-Bush?





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赤ん坊は、性別が関係なく、赤ん坊と呼ぶことができる。
しかしいつの頃からか、女の子と男の子に変わってくる。
このあたり、やや古くはあるけれどボーヴォワールの書いたことが今でも通用しそうに思える。

その時期は多分、おシメがとれて親がそれらしい服装を着せるころになってから、その子を見る人も初めて男の子か女の子の区別がつけられるようになるのだ。
それまでは目がくりくりしていて可愛いとか、笑った顔が天使みたいだとか、親だけが思っている。
もっとも、染色体についての説明を聞いていると、人間の基本は女性であって女性のなかから男性が生じる、というように思えてしかたがない。
そのうちに、男性不要論などが言われ出すかもしれないと、ひそかに考えている。


では、「~の子」といわれることが終わるのは、一体いつになるのだろう。
私は、学校を卒業して社会人となった時に一つのショックを経験したことがあった。
それは、社会では自分よりも年長の女性が「女の子」と呼ばれているということだ。
20歳代の前半だった私にとって、同年代後半の女性は女の人、つまり成人期後半に属すると思っていたことと、背広を着るようなったせいかその頃からよその子供に「おじさん」と呼びかけられるようになっていたので、その自分よりも年長の女性が女の子なんて、不合理極まりない話しだ、なんで?という気持ちだったろうか。
それがいつの間にか自分よりも年長の女性が仕事場に少なくなり、他の人が若い女性のことを女の子という云い方をするのを聞いても違和感がなくなってきた。
これを年の功という、のかな。

もっとも、街中ではさらにそうなのだが、20代と50代の区別はつくが40代と50代の区別がつかない。
みな同じような服装をしていて、おなじような化粧をしているので10歳くらいの差では見分けがつかないのである。
これはあくまでも私個人の観察力の問題であって、女性本人の問題ではないので、その点は十分にご承知置き願いたい。

さて、このように「子と人」をこだわっのは、こんなことがあったからだ。
八月の半ば頃の午後、私は近くの文化センターの学習室へ通うことが日課だった。
ただし三日坊主の日課である。
なぜ学習室かといえば、そこが強めの冷房をかけていて涼しいことと、子供はまじめに勉強をしていて夏休みの宿題でもしているのだろうか、お年寄りは半分は居眠りをしているという静寂な環境だったのが魅力的だから。
さて、その学習室へ入ろうとしたときにすれ違った女の子のことがいつまでも気になってしかたがない。
あまり身長は高くないので小学生かと思ったが、かかとの高い靴をはいていたので、もう少し年が上かもしれない。
しかし近所では、ピンヒールのようなデザインではないにしてもハイヒールを履いている小学生のような幼顔の子供もよく見かけるので、靴だけでは断定ができない時世ではあるが。
その子とすれ違いざまにチラッと目線が合った。
「ナニヨ、おじさん」というようなのとは若干ちがうのだが、その目が子供の目だとは、とても思えなかった。
就労期前半の女性の目だと感じた。
目は心の窓と言うことからすれば、この子の心持はすでに大人と同じになっているのかもしれない。
子供の早熟化ということを時々耳にすることがあるが、女の子は10代の初めころから早くも女の人として通じる心情をもつようになるのかと、感慨がひとしおだった。


それにくらべて男の子は、いくつになっても子供みたいなところが抜けなくて、30歳くらいになってようやく顔つきも引き締まってくる人が多い。

早熟化とは、女性にのみ起きている現象なのではないだろうかと考えることで、ようやく腑に落ちたのである。



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いよいよお盆休みもおわって、さあこれからまたガンバルぞ、と考えている人もおられることだろう。
かつて盆と正月は、帰省する人や旅行に出かける人が多くて東京の街の人口が減り、街中がガラガラに空く時期だった。
都内の主要な道路は走る車の数も激減し、目的地に到着するまでがあっという間
で、東京というのは案外狭いのだと感じたり、一年中混雑をしている銀座の歩道も人にぶつかりそうになることもなく楽に歩くことができた。

それがある年の夏休みのこと、地下鉄を降りて銀座四丁目の交差点へ出た時の驚きは、今でも忘れられない。
そのころ、盆休みの時に銀座のビアホールへ出かけていって、昼間からビールを飲むのを楽しみにしていた。
普段の日であれば、暗くならないうちからビールを飲むのも「良心の痛み」という言葉が頭の片隅を通り過ぎることもないではないが、特別な日だという意識さえあれば大丈夫。
とにかくランチタイムと言っても、空いた店内にいるのは自分と同じような昼からビールを飲んで楽しんでいる人ばかりで、喧騒にまみれた日常的顧客層らしきは見当たらないのがまたいい。
そもそも日本でビールを飲むということは、文明開化に寄与するらしい。
北海道、札幌でビールを作り始めたきっかけが、そのような理由だとのこと。
平成の時代に文明開化もないものだが、援用できる理由はできるだけたくさん集めて、さらに気持ちよくビールを飲みたいものだ。


それで、銀座四丁目の交差点のことなのだが、例年のように出かけたところ、あまりの人出でわれとわが目を疑ってしまった。
ひと、ひと、ひと、で歩道があふれかえっていて、普段の日曜日に見かけるのと少しも変わらない景色だったからである。
その時にいったい、こんなにたくさんの人はどこから来たのだろうかと、しきりに考えたが答えが思いつかなかった。
そのまま何年もが経ってしまったが、最近、ようやく思い当たることができた。

それは、東京も一種の観光地なのだという、いとも単純なことだった。

「江戸開府四百年」というかなり大規模な観光行事が行われたのは、たしか十年ほど前のことだったが、そのような観光に携わる事業者の努力も効果があったかもしれない。
ここ数年は、近所の公園や通りを街歩きの団体が歩いている姿を見かけることがある。
これも観光なのだろう。

近くには、長谷川平蔵屋敷跡とか本所松坂町の吉良屋敷跡とか、ファンにとっては見逃せないスポットのようだ。
日本近代製糖発祥の地、などという碑板がそこらいらの公園に立っていたり、なんでもない川だと思って見ていたものが江戸時代に掘られた運河だったりと、結構、由緒をたずねることのできる施設やその跡も多い。

深川飯というどんぶり物がある。
アサリを剥いてさっと煮つけたものを汁ごとご飯の上にのせただけのものだが、これが「あの深川飯か」とブームになり以前には小さな大衆食堂だったところが、そのおかげで立派なビルに建て替えてしまった店もある。
自分の住んでいる所が、よそからわざわざ見に来るほどのところだという実感が、なかなかわかないが、深川というだけで、はとバスが来た時もあった。


観光恐るべし、その経済効果。





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体温は36度5分、気温は37℃
梅雨はとっくに明けていたけれども、いっときの猛暑の後には、さほどの暑さを感じさせられることがなく数旬が過ぎていた。

100年前頃の古い時代を描いた小説には「天井の扇風機が熱い空気をかき混ぜていて、部屋の中はぬるい風が動いていた」と、いうような表現が書かれていた。
太陽の熱気で空気の粘度が高くなった様子を、よく表してる表現だ。
同じような時代背景を有する多くの映画でも、天井に大きな羽がゆっくりと回転しているシーンが目についた。
エアコンの無かった時代、人びとはあれで少しは涼しさを感じていたのだろうか。



昨日の東京の最高気温は、37℃だった。
午後、ベランダへ出た時、汗が体中から噴き出てくるような印象だ。
遠くの超高層ビルは濃密な水蒸気にさえぎられ、何枚もの薄いスクリーンを重ねた向こう側のように霞んで見える。最も遠いビルは、輪郭さえ定かではない。
手に持っていたウチワを使ってみるが、却って熱気が押し寄せてくるような感じで、なにもしない方がまだましな状態だった。
昔、天井で羽を回転させていた扇風機は、きっと回転する羽を目で見て頭の中で風を想像するように、考えられて設置されたに違いない。

目で楽しむ、風鈴のようなものか。

今では古い時代をイメージさせる小道具だ。


太陽が隠れた後も、気温はさがることなく、とうとう30℃超の気温のままで次の朝を迎えた。
だから今朝の太陽も絶好調である。
なにしろ、スタートダッシュ時にはパワーが全開なのだから。



ちなみに、昨日も熊谷は東京の気温には勝ったものの、館林の気温を上回ることができなかった。


ザンネン。




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ざるそばを食べる時には、たぐったそばの下の方1/3を汁に浸し、そのまますすり込むことと親に言われ、律儀に言いつけを守った男が死ぬ寸前に
「一度でいいから、ざるそばをどっぷり汁に浸して食べてみたかった」
と嘆く話は落語のなかのことで、実際の蕎麦屋では客は色々な食べ方をしている。
中には、近くの人がそばをすするときのズズズッという音がわざとらしくてうるさい、と言う人もいる。
通ぶっていて、みっともない、という気持ちらしい。
そう言う人は、たいていが一口大にまとめたそばの全部をたっぷりと汁に浸してから、大きな口をあけてパクリと、食っている。
この食べ方だと、たしかに音がしないので静かな食べ方だといえる。

逆に、そばをすするタイプの人は、音ばかりではなく食べ方そのものにもこだわりがあるようだ。
ワサビが付いていれば、汁に混ぜてはいけない、そばの上にぽつんと乗せて辛みのほかに香りも楽しまないのは邪道だ、と言わんばかりに礼法通りにそばを食べることの意義を解説してくれる。
これが一番、うまいんだよ。そばってぇのは。
あれ? この人、県の出身じゃなかったかな。


はてさて、そばを食うのも色々とうるさいものである。
私ですか、私は、そばをとって下の方を1/3くらい汁に浸して、そのまま吸い込むという食べ方をしている。
理由がある。
テレビなどで、イタリアの紀行番組などを見ていると出演している女性タレントが、食物を口の中に入れてからすかさず人差し指で頬を押しながら「ボーノ」というシーンを最近になって見かけるようになった。
あれは子供の仕草ではないのだろうか。
いい大人がする行動だとは思えないのだが、どうだろうか。

それと同じで、そばを汁の中に全部浸して食べるのは、子供の頃にうまくすすれなかったのでやっていた食べ方だった。
だから一応は大人になってからは、その食べ方をしなくなったのである。
それにソバといってもラーメンなどは、全員が音をたててすすっているのだから、ざるそばだけを目の敵にすることもあるまいと思うのだ。
それにざるそばなどは本来、安いものだけにあまりいろいろと考える必要などはあるまい。

話が変わってしまうのだが、最低賃金という給与の最低基準が決められている。一時間働くと最低でもこの金額を支払わなければならないとされ、全国でだいたい八百円前後なのだが、運悪く、そのような職業に就いた人が昼飯にざるそばを食べようと思ったとき、時給では食べられないような高額なそばをウリモノにしている老舗らしい店がある。


けっこう繁盛しているようだが、このような店にヨイショをするような雰囲気の方が、よほど問題だ。





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東北地方を除き、他の地域では梅雨があけてから猛夏の日々が続いている。
巷はすでに「お盆」らしく、連日のようにアラレちゃん音頭が聞こえてくる季節だ。
なにしろ小学校、幼稚園、自治会と盆踊りを主催する団体にはこと欠かないので、多い日には4~5か所から同時にスピーカーの音が聞こえてくる。
特にベランダのある南の側からは、東京湾から吹いてくる風にのってかなり遠くの音も伝わってくる。
アラレチャン音頭と東京音頭のほかの曲が聞こえてこないのは、小学生くらいの小さい子供を相手にしているからか、自分がそれ以外の曲を知らないせいだろう。
とにかく、この二曲以外の曲が聞こえてこない。


それやこれやという間に花火の季節にもなってしまった。
その年に打ち上げられる花火の数が何発であるか、また何か所で行われるかは、まったく景気次第で、花火こそ景気のバロメーターと言える。

盆踊りや花火といえば、夏でしょう。
夏、といえば暑い、でしょう。
暑いといえば、この話題が・・・。

ご存知の方も多いとは思うが、東京都と群馬県の間にある県には日本でも一番暑い、いや熱いと自慢をする熊谷市がある。
暑いのは心身ともに歓迎するべきことではないのだが、それを逆手にとって何年かまえから
「あついぞ!熊谷」をキャッチフレーズにして、暑さこそエネルギー源だ、なんでも日本一はいいじゃないか、と地域活性化を目指しているらしい。
ところが今年は熊谷の暑さが今一つ、ふるわない。
いや、よその所がもっと暑いのかもしれない。

もともと暑さ日本一を競うのは、熊谷のほかに館林とか多治見などがある。
今年は、この二つの町の頑張りが効を奏したのか、暑い暑いというニュースに熊谷は少しも登場してこない。
熊谷を応援する人のなかには、熊谷の気温はきちんとしていて芝生の上で気温を測る百葉箱型の気温測定装置なのに、館林の気温はわざわざ熱反射の大きいコンクリートの真上に温度計が置いてある、と熊谷を弁護したりする。
しかし、アメダスの記録を見ても、最高気温は館林の方が上だ。
きのうも、きょうも。
今日は、最高気温で館林に1.5℃の差をつけられた。

参考までに、気象庁の「観測環境と観測所のシステム構成」によれば上の弁護も、やや失当かと思う。

http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kansoku_guide/a3.html

それよりも、肝心なことは熊谷が冷えてきていることだ。
あつければいいってものではない、などと考える市民がふえてきたのではないだろうか。

新幹線や高速道路のおかげで東京の通勤圏の範囲にはいってきて、熱き熊谷の気が冷めてしまったのだとしたら、もう二度と「あついぞ!」と言えなくなるのではないか。
健康な熊谷市職員と熊谷観光協会の職員は、真夏の気温を上げるために熱くなるべきだ。
気温を測っているアメダスの測定装置のセンサーを直接に細工することはアンフェアだが、アメダス測定装置の周辺でたき火をたくのもよい、みんなで周りをグルグル走って体温で温度計周囲の気温を高めるのも一つの方法だ。


「なんだ、大したことないじゃないか!熊谷」
などと言われてはならない。

とにかくがんばれ!汗をかけ!


日本一の座を奪還せよ、熊谷!







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東京には、温泉が多い。意外に思われるかもしれないが、関東平野の海浜の辺りは数千年か数万年前に浅い海の底だったところが多く、深く深くパイプを通して掘っていくと温泉の層にあたるようだ。


湧き上がるコーヒーのような黒い色をした湯の量は、かなり多い。
黒い色をしているのは、その昔、海底に繁茂した海藻類が海水の中に長い間とじこめられて溶けてしまったためと、説明されている。
蛇口から出てくる湯を嘗めてみると、少し、塩辛い。

しかし、東京の温泉は昔ながらの銭湯が経営している場合がおおく、経営者の高齢化などによって徐々に閉鎖される方向にある。

そのことと関係があるのかないのか、スーパー銭湯というものが大盛況だ。
ここ、東京湾の奥の方、竹芝桟橋からやや沖合の埋め立て地に作られたスーパー銭湯は、場所が手頃なせいもあるのだろうが、頻繁にテレビの撮影がはいる。

某年某月某日、つまりきのうのことなのだが、そのスーパー銭湯に行ってきた。
「女湯」がどうなっているのかは分からないが、「男湯」は露天風呂やサウナもついて、全部で八種類の風呂がたのしめるようになっている。
とても全部の浴槽を回るわけにもいかず、それでも一時間近くは裸で湯や湯気に包まれて過ごした。
最後にシワャーを浴びて、浴衣に着替え、身体のほてりがさめるまでと、館内をぶらついていた。
ここは、入場者は全員が浴衣姿になることが条件になっているので、これだけ大勢の浴衣姿を目にするのもめずらしい。
射的や輪投げのようなゲームもあれば、「温泉まんじゅう」などの土産物屋もある。しかし、一番多いのが飲食店である。

フードコートのような一画からレトロっぽくレイアウトしたバーまで取り揃えてあって、この雰囲気はかなりおもしろい。
建物の上には、羽田空港を離発着する飛行機が飛びまわっているのだが、そのようなことはすぐに忘れてしまう。

そんな中、大きなビデオカメラをまわしている一団がいた。
カメラの向こうには、だれかタレントがいるのだろう。
そう思って目を凝らしても、浴衣姿の人が見えるだけだ。

たまたまその場を通りかかった私は、カメラの横で真剣に前方をにらんでいる女性がいることに気がつき、教えを乞うた。

「だれか、有名な人がきているの?」

そしてまたカメラの向いている方に目をやった。
返事がもどってこない。

もう一度、ディレクター女の方に顔をむけると、彼女は
「・・、い、い、言えない・・・」
目が据わっている、というのか、目が点になっている。

点のようになった人の目を始めて見た。
それはまるで子供が落書きした顔の真ん中辺りに、グリグリと丸を書き込んだような目だった。

悪いことを聞いてしまったなあと思いつつ、ごめんごめんと謝りながら、その場を離れた。
カメラが撮影している先の方の景色には、他の浴衣姿にまぎれてしまっていてだれがだれだか分からない有様が続いている。
出演者と思われる人は、すこしも目立たない。

それよりも、野次馬の一人にちょっとものを聞かれて、心が飛んでしまうほどに純情な「業界人」がいたことに、新鮮な驚きを感じた。
そして、「目が点になる」というのは、あのような表情になるのだということが、私にとっては新しい発見だった。



ところで、なぜ私が平日の昼間にそのような場所に居たと思いますか?


フフフ・・。





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