普通の人間(心のある人間)であれば,

もし,先祖の位牌を踏めといわれたとしたら,それを踏むことができるだろうか。

あるいは,本当に愛する人の写真を踏みつけろといわれたらできるだろうか。

「普通の人間」であれば,踏みつけることなどできないだろう。

それは,自分で霊的な感覚はないと思っていても,先祖の霊が宿っていることを無意識に何となく感じているからである。
 

愛する人の写真には,その人の命の波動,魂,温もりのようなものがあるのを何となく感じるからである。



本来,どんな人間にも,程度の差はあれ,霊的な感覚は備わっている。それが,汚れた社会で生きているうちに,心が汚れて,霊的な感覚が閉ざされてしまったのである。

魂磨きをしていると,霊的な感覚が増していき,目では見えないものを感じる能力が強化されてくる。
上述の位牌でいえば,故人の魂(エネルギー体)が一時的に,位牌に出入りするとき,何となくそれが感じられるようになる。
写真でいえば,写っている人の状態がなんとなく分かるようになる。


目に見えない部分に,実は多くの情報が隠されている。

目に見えるものしか信じられない人の魂は,非常に低い。

心が綺麗な人ほど,いろいろなものが感じられるようになる。いわゆる,心眼(第三の目)が開いている。