※この記事はネタバレです。まだ映画『アイドル』をご覧になられていないかつ内容を知りたくない方はこの時点でブラウザバックしてください。
・とりあえずK-Taka的映画『アイドル』感想
昨日初めて映画『アイドル』を鑑賞してきました。
SKEを日頃応援しているファンからさえ絶賛するような評判をもともと聞いていなかったので、どんな感じかなーとは思っていましたが、結論から言うと映画としてひどいものでは決してなく、むしろ非常に“まとまっている”印象。それは良い意味でも悪い意味でも。
“映像資料”としてはとても価値のあるもので、ここでしか見れない裏側がたくさんあることでしょう。しかしながら“ドキュメンタリー”ではないな、とも強く感じます。
その理由は、この映画が強い「シナリオ」に基づいてリアルを再編集したように感じるから。映画だから編集は避けられないものですが、それを込みで逸脱しなさすぎるこのストーリーはやはりドキュメンタリー未満と感じざるをえないところ。
もうひとつ、この映画のインタビュー映像は基本的にメンバーの発言しか流れません。
どういった質問を、どのタイミング(時系列上)で浴びせたらこの発言がメンバーの口から飛び出したのかが明示されないのです(時系列に関してはメンバーの衣装からある程度推測ができるのかもしれない)。
これはやはりドキュメンタリー映画におけるインタビューとしては不十分な見せ方で、シナリオ通り上手くいくように切り貼りしていると思われる“隙”を生んでいます。
・先輩と後輩
この映画において「先輩」というワードで主に語るのは高柳・斉藤・須田・大場の4人。そして松井という“存在”。
インタビュー映像として使われる時間量としてもこの4人+1は「先輩」の代表として明確に浮き出されている。
一方で「後輩」は誰を指すのか。斉藤が劇中「(後輩と私たちの)温度差が…」と発言するシーンからその「後輩」とは何かについての霧払いはされない。
それはところにより研究生(7・8期?)であり6期生であり、この4人とその同期以外全員なのかもしれない。(6期生は終盤壁を乗り越えた「先輩」として取り上げられるフラグでもある)
ここをぼんやりとほったらかしにされたことがこの映画の“モヤモヤ”のひとつを生んでいる。
もちろん犯人捜しをしろというわけじゃない。そうじゃなく、研究生公演のシーンでなぜ岡田や佐藤達の視点が入らないのか?
10周年シーズンを取り上げているのに、劇中でこの1年再度盛り上がりを見せている的なことを言っているのに、その中心にいてJR以外で初となる2作連続センターも果たした小畑の視点や発言がそこにないのか?
こうした視点や言葉の不足はところどころに発生していて、そしてそれを補うのはことごとく“上(先輩と製作者)からの視点”だった。
“先輩から後輩へ伝統の引継ぎ”という抽出の仕方は、私からしたら「数年前のドキュメンタリーで既に見た」視点だった。
もしこれがドキュメンタリー映画というのなら、この1年を切り取るうえで“青き芽が吹かせた新風”に焦点を一切当てないのは現実の半否定といっても過言ではないだろう。
・傷つく松井と須田
SKEの2018年において語らずして通れないのは松井の奪首とその代償だ。
劇中でも存分にそこが取り上げられている。
その上でプレッシャーと自身の期待や想像に対する裏切りに直面する松井、壊れゆく松井が須田のインタビューと共に映し出される。
そして壊れた松井に代わってセンターに立った須田も傷ついていく(今思えば須田に「加入数年はステージの端が定位置でした」というナレが入っていたのはこのフラグのように思えてくる)。
そこで対照的だったのは松井の支えとして取り上げられたのはOGの大矢であったのに対し、須田が抱え込んだ時熊崎と北川が傍にいたシーンだ。
この場面に使われている映像の限り、センターという重圧と期待/批判にさらされる場所に立つ者にコンタクトする後輩が少ないように感じた。須田や斉藤は松井について気に掛けるコメントはするものの、現場の映像でサポートしていたのか明示されない(映像がないだけかもしれない、そこは留意)し、傍からすれば「分かっていたならなぜ?」と言われかねない映像構成だった。
私はここが強く印象的で、その意味で熊崎や北川は個人的にこの劇中においてMVP級の“ぼくらが知らない面”を見せてくれた。
(ちなみに私は、センターというポジションに立ち続け、センターというポジションを獲得したと同時にその重みに耐えきれず限界を迎えた方を復帰後即センターにするのは手放しに喜んでいい采配なのかどうか疑問なのだがそこらへん推しの方々はどう思われているのか率直に聞きたい。以上余談でした←)
・鷹に始まり鷹に終わる
この映画の序盤数十分では、「アイドルとは?」という問いかけを現役メンバーの志望動機やファンへの取材という形で投げかけた。正直あの尺はなんだったのだろうと中盤終盤を見終わった後感じたのは内緒()
そして最後、エンドロール後の“本編(エピローグではない)”のその最後。もう一度オーディエンスに問題を提起する。
鑑賞前に、すでに見終わった人の感想を見ているとそこにモヤモヤを感じている人が多く、それゆえ私もラストカットを楽しみにしていた。
安直に表現すれば「庵野感あるラスト」だが、あのラストカットを紐解くフラグははたしてファーストカットということでいいのかどうか、私はまだ答えを劇中から探せていない。