もう30年以上英語に悩まされ続けています。

そして、いまだにそれは続いています。


特に今時は、インターネットで見る情報を

人の翻訳ではなくダイレクトに聞き取りたいという

欲求が益々募ります。





友人に中東出身の大学の先生がいます。

彼は普段の授業は英語で行っていますが、

やはり日常の生活では、日本語の必要性を

痛感しているようです。


彼が言うには、日本語の難しさに比べると、

英語なんて簡単でしょ!といつも言います。



私もそう思います。

ところが現実には、そうは行きません。






何十年もかけて、英語は難しいものだ!

と教え込まれてきた気がします。




2年ほど前から『ある実験』をしてきました。

当時3歳と5歳の2人のお子さんを持つ

あるお母さんと始めました。




学校で英語を学び始める前に、『英語を

遊びながら覚えさせてしまおう』という実験です。




年齢的に、まだ日本語と英語の区別も

よくわからない年齢です。


ましてや、『英語を話せるようになりたい』とか

『成績を伸ばしたい』とか『就職に有利だ』とかの

雑念を一切持っていない年齢です。





私達は、殆どの人が自転車に乗れます。

縦一列に並んでいる車輪の上を、

転ばずにスピードを出して走って行くということは、

かなり難しいことではないかと思うのです。




ところが殆ど100%の人達が、子供の頃から

自由に乗れるようになるのです。



頭で考えれば、かなり特殊な技術で

みんなが乗れるようになるなんて

考えられないのです。


しかし現実は、100%に近い人が

乗れるようになります。




このことを、『英語を使いこなす』ということに

置き換えてみます。




なにも競輪選手になろうというのではありません。

普段の生活の中で、遊んだり、買い物に行ったり

通学に使ったりできる自転車でいいのです。




なぜ『ほとんど人が自転車に乗れるようになるのか?』

ある仮説を立ててみました。




・・・・・題して『英語自転車論』・・・・・




ある日、誰かが自転車に乗っているのを見て

『あっ 自転車って乗れたら楽しそう!』と

思うわけです。



それを見て自分も『自転車に乗れるようになりたい!』と

思うわけです。




子供は興味さえ持てば、放っておいても

自分で学び始めるのです。





私の時代は、子供用の自転車など買っても

もらえませんでしたので、

おやじの重たくて大きな戦車のような自転車で

練習をはじめました。


ある時自転車が重たくて

自分では漕げないので

坂道を下りながら練習をすると簡単な事を

発見しました。




そして崖から落ちて、怪我をするやら

自転車を壊すやらで、母親から怒られ

自転車を使うことを禁止されました。




それでも親の目を盗んで隠れて練習をしました。

なぜそこまでの情熱を持てたか?


簡単です!

みんなが乗っているのを見て、

練習さえすれば、『自分も乗れるようになる!』という

確信が持てたからです。




小学生で、もし普通に英語を喋っている子がいたら

それを同じ小学生がみたら同じことが起きるんじゃないか!


・・・・・・・・・・・・・と??????


仮説『英語自転車論』はまだまだ続く・・・・