先月、今月と大三元を三度聴牌、二度成就できた。

同卓者に恵まれたのか、牌に愛されたのか。

同時にそれは、自分が卓に座り道理よりも無理を選んだ結果でもある。

 

選択の多くは確率と数字で考えれば、理不尽なのだよね

 

でも人は役満の和了に特殊な憧れを抱くのも多くの事実。

 

つまりある種の正しさ(憧れを求めて叶える)って、間違い(理不尽さ)を含みつつ、それでも描き続けた果てに見える「絵」のようなものなのかしら。

 

牌を愛するものは同卓者を慈しむ。

時に描いた夢が叶わなくても、叶わぬ夢さえも花の咲みの一部であることを知る。

敗北には理由だけでなく意味も意義もある。