なにかを自分の中から生み出そうと思ったら、
そこには必ず栄養素というか種というか、
そういうモノが必要で。
小説を読むと
「書きたい」
という気持ちの種が地中に植えられるんだけど、
ハイポネックスのような栄養素がなければ育たない。
枯渇してますからね、オムの大地。
つーことで 【書く】 というアウトプット作業には、
同時に 【読む】 というインプット作業も必要で、
読んだら読んだ分だけ放出したくなるし、
放出したら栄養素を補充しなくてはいけない。
まぁなにを訴えているのかというと、
読むのと書くのは、なぜか同時進行ということが多くて、
時間がなくて困っております。
で、こないだ。
美しい文章の原点に返ろうと思って、川端康成の『眠れる美女』の単行本を古本屋に探しに行ってね。
そしたら108円コーナーにあった本のひとつに目が留まって、
「再読したいな」と思ったので買ってきたのが、コレ。
『風の歌を聴け』
村上春樹 著
図書館で手にとって5年位前に読みました。
村上春樹作品の中では、デビュー作なのに読んだのは最後のほう。
前にオム書評で書いているのだけど、村上春樹の作品はどれもイマイチだったのに、
この作品を読んだとき、オムに閃光が走ったよ。
討たれた。
今回、一番最初にこの本を読んだときと同じ感情がオムを貫いたんだけど、
思うことあってネットでいろいろ検索をしました。
(「思うこと」は後述)
当時とひとつ大きく変わったのは、個人のネット上での発信量だね。
ちょっと本のタイトルを打ち込めば、ドヒャーッ!とみんなの書評が読めてしまう。
で。
驚きました。
オム派の少なさに(笑)。
この作品に肯定的な意見を持っている人が、意外に少ない。
村上春樹のほかの作品だと、読んだ人の感想は総じて肯定的なのと逆転している感じ。
そもそも作品を読むか否かの時点で、合う合わないがあるそうで。
合わない人はトコトン合わないらしい。
オムはたぶん、合わない人のタイプなんだろうけど、この作品だけはガチッと捕まった。
この捕まり方が、実はハンパなかった。
んだけど、村上春樹自身は、この本の存在を否定的に捕らえているようなので、
現在のような作風を「ヨシ」として世の中に送り出している彼ならば、
確かにそんな風に思うかもしれない。
と思った。
そのくらい、いわゆる彼の代表作といわれる作品とは毛色が違う。
で、なにを書こうと思ったかっつーと。
みんながネット上にアップしている、この本に対する書評について。
つまり、書評の、書評(笑)。
【意味不明】
というようなニュアンスのマイナスな評価が多いのだけど、
そもそも「意味」とは?
日本語を理解することができるなら、
書いてある言葉が指していることは分かると思うんだけど(小難しい内容ではないし)、
そこじゃないんだろね、きっと。
もっともらしくこの本の「解説」をしている人のブログとか読んだけど、
なんかすんげぇ、オムさまには理解もできないような小難しい解釈をして、
んで、言葉一つ一つを検証して、超謎解きしてるわけ。
それって・・・果たして面白いんだろうか?? (苦笑)
なんて思いました。
教訓みたいなもんが散りばめられた本もたくさんあるけど、
個人的には、わたしたち一般庶民は、
文学は 【感じること】 ができればそれでいいんだと思うんだよね。
主人公の「僕」がついた嘘がどーのこーの、とか、
なんで「鼠」なのか、とか、指が4本しかない女の子は、実は誰それだ、とか。
そーいうの考えながら読んで、楽しいのかな!?!?!?
んまぁ楽しいんだろうけど、純粋に 【文学】 を楽しむのとは違う気がする。
「村上春樹大解剖」とかするならアリだと思うけど。
主人公の「僕」は、『ノルウェーの森』の誰それなんじゃないか?
なんて、ハッキリ言ってどーでもよくない!?
(まぁきっと、どうでもよくないんだろうけど・・・)
けど、きっと。
そういうことを読者にさせる 【何か】 が村上春樹にはあるんだろね。
小さなトリック(?)のようなものを探して
「分かった!」
みたいなことをしたくなるというか。
そういう目でみたら、オムはこの作品を微塵も理解していないということになるな。
じゃあオムはこの作品のどこがいいと思うのか。
もしオムが「僕」と同じ状況にあったとき、
「きっとこう思うだろう」「きっとこう言うだろう」
ということをすごく的確な表現で、サラリと書いてあること。
物語を読んでいるんだけど、自分の頭の中にあることがそのまま文章となって目に入ってくるような。
すんごく不思議な作品でした。
キザ。
たしかに表現は結構キザだけど、でも、アタマん中では結構みんなもキザなこと考えているっしょ(笑)?
オムと「僕」に共通点なんてコレっぽっちもないけど、
この本にはオムと同じように思考が流れる主人公がいる。
それだけで、この本はオムにとってグゥの音もでないほど、すげー作品と感じたわけ。
言いたいこと。
とか、
表現したいこと。
なんて話は二の次、三の次。
オムはこの本を読んで、確かに感じた。
すんげー震えたもん。
ワナワナって感じで、グワーッ!と腹の底からなにやらデカいものがつきあがってくる感じ。
感動っつうのかもしれん、これを。
しかし、
「なにに感動したの?」
っていわれると、実は回答がみつからなくて、
この感動のヒントがどこかにないかと思って・・・
滅多にしないヒトサマの書評を読み漁るなんてことをしたのだけど。
回答なんて、どっこにもなかった。
その代わり、「え、みんなそんな読み方をしてて楽しいの?」
という疑問だけが頭に残った。
強いて言うのなら、表現力。
オムの感情の「流れ」の表現力。
感情を表現するのは、それだけでも結構難しいけど、できない話じゃない。
でも「流れ」を表現するのって至難の業だと思う。
作中の文章は散文のようで、話はポンポン飛ぶし、
いつも尻切れトンボみたいな終わり方で次の断章に移るし。
でも、オムの思考はこんな風に、なんの脈絡もなく過去を旅している。
それが、この作品のテンポと、ガチ、一緒だった。
オムの思考の流れを表現しようなんて、村上春樹センセが意図したとは到底思えないけど、
(個人的に面識もないし、例え知り合いだったとしても、彼に私の心の流れは見えないから)
でも、オムは自分のアタマの中の思考の移ろいを感じた。
ただ、みんなもそんな風に断章的な思考の流れをしているんだと思っていたけど、
そーでもないんだろうな、というのが、みんなの書評を読んで思ったこと。
だからきっと、オムのような感じ方をする人がほとんどいないんだろうね。
で、それを抜いてしまったら・・・
この散文のぶっ飛び方とか全然わからんのだろう・・・
この本が言いたかったこと?
この本が伝えたかったこと?
オムなら「知らねーよ」って答える(笑)。
そんなことを突き止めないと気が済まないのなら、
この作品には向いてないと思う。
じゃあなんで村上春樹はこの作品を書いたんだろう?
そんなことも、「知らねーよ」って答える(笑)。
それと同時に、こう思う。
「処女作ってこういうもんだよ、その人のこれまでの人生とか内にあるものだけが出ている」
って。
商業ベースな考え方なんて知らないし、できないし、
文章として生まれる素となるのは、自分自身の内にしか存在しない。
だから、もし、オムもこの先、ヨソサマに読んでもらうような、
自分自身の自由テーマで書いていい文章を書く日が来たのなら、
こういうモノが書きたいと思う。
逆にいうと、オムはこういうモノしか書けないと思う。
(あくまでも「オムのベスト」であって、この作品のレベルには到達できないけど)
あと、気になるのは、
「この本の解釈に頭を悩ます読者を見て、春樹さんは陰でシテヤッタリ!と思ってるんでしょう」
みたいなコトを書いてる人が多いのだけど、
村上春樹ってそういう人なの(笑)?
そういう情報に疎すぎて申し訳ないんだけど、そういう狙いで書いている人なの?
ならオムは、彼が意図する読者ではないな・・・(苦笑)
そんな風に、裏を探るような読み方は、したくてもできない・・・
ちなみに。
そのほかの村上春樹作品も読みましたけど、オムはどれもイマイチでした。
これがたぶん、ハルキストになれない理由で、
ハルキ自身やハルキストたちから酷評される作品を
「大好きだ」
とのたまうオムたるゆえんなのでしょう。
とまぁ、ほとんどのみなさんにはどうでもいい話を書きました。
オム自身も最終段階まできたので、昼休みに、思うがままの文章をしたためました。
来週明けには脱稿します。