どうやら写真しかり絵画しかり線しかり点しかりの類の物は選択の痕跡が残っているらしい。

どんな絵でも意識して書かれている限りはその行為に意識を乗せて、その一連を表現と言っている気がしてならない。


と、電車の中の広告に写ってる写真を見るたびに思う。
あこには絶対に捨象と言う名の選択がある!!!


これはテクノロジーにはめんどくさい類のものがビルトインされてるっていう先の文章に通づる所がある気もする。

昨日聞いた、saidとunsaidについての話とも絡んでくるし。




センサーが良好だとささくれみたいなものに関係性を見出せるし、その瞬間の感覚も気に入ってる。

とりあえず、日々が楽しい。


明日は大島先生の所に質問を持っていく予定。
今日行ったら長蛇の列ですこし笑った


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この画像も面白い。