A:B=a:b

つまり
比が保存してる状態を考えます。

これは
AとBの関係はaとbとの関係と同じである事を意味してます。

この意味において
何よりも大切で、その他一切を切り捨てても残る本質的な事実は"関係"が同じであって、比を構成する各々には何ら必然的な繋がりが無いことです。

例えば
内項と外項の積をとってAb=aBとなって喜んだとしても、両辺をBbで割る操作によって再び"分数"という、比(関係)を表す式に戻るために"関係"から逃れることはできていません。


つまり
関係のみから要素を表現する際の方法は関係に依存していて、要素の如何に関して"関係"は恣意的であるのです。


しかし
身の回りを見てみると至るところで、比のみを用いたロジックであるにもかかわらず、要素同士の恣意性が崩壊して、さも順当に歩を進めた論理のような顔をした、すっからかんな言葉が並んでます。


もう一度いいます。
関係において比は保存しますが、要素同士の必然的な繋がりを保証してる訳ではありません。

分数で表して喜んでるだけです。

メタファーとメトニミーと比の保存とをまぜまぜしてるだけです。


最後になりましたが
比の保存という考え方自体は、本当に役に立ちます。

なぜなら
あらゆるものごとは関係の中に存在しているからです。





photo:01


この組み合わせときたらもうね。
悪意を感じる笑

そして、なによりも、pope for a new world って文句。

6月8日。