リア充とは

リアルが充実している事である

ここに、充実という言葉によって、個人間の『りある』に差があるという事が理解できる。

寝起きの顔や未開封のペットボトルみたいになみなみと満たされている『りある』もあれば、日曜23時のやる気や富山の冬の色彩みたに空っぽで味気ない『りある』もある。

REALが一つで、誰にとっても同じなら、誰かの願いが叶う頃、誰かが泣いてる。そんな宇多田ヒカルみたいな事も起きないはず。

けど、起きてる。てことは仮定がおかしい。高校数学の背理法とやらみたいに。


つまり、誰にでも当てはまる『りある』なんてものはなくて、全部僕ら一人一人の作り物らしい。


作り物って言葉をフィクションって言葉に変えると、僕たちの現実はフィクションだって言えるのかな。どうだろう(´・_・`)


とりあえず、フィクション論への誘いという本が欲しい。

電車の中で、リア充って事から現実はフィクションだってつなげる事が出来て、一瞬だけ俺って天才だわ。と思ったけど、文書にしてみるとそうでもなかった(・_・;

photo:01




てか、フィクション論への誘い
どんな本なんだろうか。
結局、全てはフィクションだって言い始めるんじゃないか不安。

それをいっちゃーおしまいよ(; ̄ェ ̄)




あ、今日は『くわし』こと、重戦車の納車20年記念日です。






追記。
でも実際、誰しもに体験されながら、誰にも存在を明らかにされてない『現実』とやらが存在してるのかも。

こういう時、時間を固定すると考えやすいって物理の先生が言ってた。

わかんねーー笑笑