時間について考えるために、考えることについて考えてみる。


考えること とは
守備範囲を決めて、始点と終点を行ったり来たり。その範囲内におけるジグザグの結果として、ある点もしくは形に落ち着かせること。


よりお絵描きチックに言うと
直線全てを'考えること'によってある一点もしくは飛び飛びの点の集合として、メタ化する。


記号で話を確認すると

対象の守備範囲を考えて
A→B B⊆A

この→がメタ化。もしくは'考えること'。の操作。


でもこれは理想。
なぜならいかに客観的に考えようとも、僕の頭が'操作'をする限り、僕の主観からは逃れられないから。
ここで、僕を拠り所として行なわれた操作(考えること)の結果、出力として現れたものをB'とする。
この理想値と実験値の差が0に近くなる、つまりB≒B'となるのが、客観の達人。(僕は素人)


ちなみに、言い訳に聞こえるかもしれないけど、このBとB'の差異を世の中はオリジナリティとか、クリエイティビティとかほざいてる。

なぜなら、純粋で普遍的な真理としてのBと、全ての他人と異なる存在であるという点で自分自身である「私」由来のB'、これら二つの関係(差異)は固有なものだから。



長くなりそうなので
また明日。


整理しとくと

直線全体が、'→'(考えること)によって、点もしくは点の集合に変換される。


課題。食べ残し。

直線という例が、'考えること'という操作の前段階の素材の例として不十分なのではないか。

客観の達人はクリエイティブではないということにならないか?

直線が点になるってのは、操作によって必ずA>Bになることだけど、それは確かなのか??




また明日。