「いとエモし」という本が発売されているらしい。

まだ書店で手にとっていないが地下鉄の中吊り広告で枕草子が現代的表現で紹介されていた。

いとをかし→まじエモい

的な。

わたしは田辺聖子さんの解釈が個人的に好きで、彼女のおかげで古典文学が好きになった経験があるからなんか懐かしい気持ちになった。


時空は違えど秋の夕暮れのパない美しさったらやっぱり超わかる!と電車の中で少し笑った。

ことわざなんかもそう。

落語も歌舞伎もなんか敷居が高いとか、凄そうな上流階級風の人達のものなんかじゃぜんぜんなくて

というかそんな括りで自己満足満たせる程度のチャパチャパしたところしか拾ってないでがつんと大事な人間の面白さ、哀しさ、切なさ、愛くるしさ、学び、同じ空間に存在できなかったけどわかるわかるわかる!それでいいんだ!やっぱそうだよね!

的なハイタッチしたくてもしかしたらわたしは読んだり観たり聞いている。


Amebaに存在する面白いブログを書く方々のブログを読む。

平安時代に存在した面白い視点で文学を書き残した作家の本を読む。

全く私にとっては一緒だ。


その時目にした言葉はふわふわと私の中に漂いいざという時にすんって必要な箇所に必要なぶんだけおりてくる。

そんな知恵に満ちた言葉にわたしはいつも救われている。

ギリギリなときもちゃんとゆっくり導いてもらっているようなそんな頼もしい言葉たち。


わたしが面白い人が好きで好きでたまらない理由はそこだ。

そんな人のブログを読んでいる時読みながらふわふわと連想ゲームのように妄想でその人と対話している。

手塚治虫先生がブラック・ジャックの映画の試写の時


ブラック・ジャックはそんな歩き方しないな


と言って全てやり直しになるという事があったらしいけどそんな感じに(手塚治虫先生と並べるなよ!!と思いました?笑あくまで比喩です)わたしは面白い記事の書き手を妄想する事が趣味に近くて

その人と妄想の中で対話をしてその途中の会話の流れでコメント書いてしまうからたいていわたしがいれるコメントはいつも何か足らなくてほんとなんかごめんなさい(笑)



何か足りないか

とても多すぎるか


いい塩加減てほんと難しいけれどほんとにいい塩をつかうと結構はずさないという料理のコツ最近覚えました。


話突然かわりましたね。


やっぱりこの時期は筑前煮ー!姫竹が好きすぎてとにかく最近何にでもいれています。
フライパンでどかんと一気に作って
筑前煮って煮物みたいな文字入るのにそういえばぜんぜん煮るタイミングないな。
個人的に無水が好みなのかも。
ほんとは煮るものなのかな。。。
筑前焼きに名前かえます。


そもそもフライパンで作っているあたり炒め物感が結構あるな。。


味が染みた次の日も好きだけど作りたてのワクワク感の中食べるのが大好き♡


いつも味の染みた筑前煮みたいに言葉を染みさせてくださりありがとうございます。



と無理矢理なんか繋げるこの感じ。

でも私の中ではだから繋がっているんだってー



寒い夕方の海、けっこう好き。