京都というところ臨済宗妙心寺派大本山妙心寺さんわたくしはこの側で生まれ育ちました。妙心寺さんの鐘が鳴ると母親はもう寝んなん時間やで、と言いました。お寺は何にも言わずに、ただ人の為に祈りその事を大人は知っているので托鉢のお坊さんにはお布施をしてきました。祈る為に生きた多くの禅僧のすがたが今もあると思います。その生きた証は境内の松であり石であり山内の石一つにその命があるように思います。無言で平和を支えてくれたはったんのや寺院のすがたを今日の日に見ることが出来るのを有り難く思います。明治の廃仏毀釈 度重なる戦争 困難を受け入れて繋いでくれた先人たちがいるお寺です。