今回はちょっと暗くなっちゃうかな。
でも、今後の自分のためにも書き留めておこう思う。
これは「私の祖母」とその祖母の娘である「私の母」の話。
祖父が亡くなって、25年。
祖母は一人で暮らしてきた。
趣味は水泳と庭の土いじり。
2年ほど前、プールの塩素で皮膚が荒れてしまったり体力的にもキツくなったことで、30年以上通い続けた水泳をやめた。
足も弱くなり屈むことが難しくなったことで、庭の土いじりも頻度が減っていた。
近くのスーパーの買物も帰りは上り坂ということもあり、タクシーを使うことが増えていった。
母は心配し定期的に祖母の家に行ってはご飯の準備や家の掃除などを手伝った。
そんな母も持病持ち。
持病と向き合いながらの介護状態だった。
私は知り合いのケアマネジャーに介護保険申請代行の依頼をし、介護保険サービスを受けるようになった。
最初の目的としては、住宅改修という介護保険のサービスで玄関の上がり框や廊下などに手すりを付けてもらうためで、あわよくばデイサービスなどに行ってくれないかと思っていた。昔から社交的ではない祖母は、案の定デイサービスには行かなかった。そのため訪問リハビリをしている友人に、家でリハビリをしながら自宅での生活が維持できるようお願いした。その後、母の介護負担軽減をするため訪問介護サービスを導入してもらい、自宅の掃除や昼食・夕食をお願いした。訪問リハビリの友人の介入のおかげで散々行き渋っていたデイサービスも行くようになった。
サービス自体はすごくありがたい。
しかし介護保険サービスの根本は「自立支援」
介護をする家族にとっては、一時の“お手伝い”にすぎない。
自分の家族を介護したいという気持ちは山程ある。
だけど常に介護がつきまとう生活。
在宅介護の大変さは、このゴールのない介護が続くことだ。
祖母の希望は、「少しでも長く自分の家で過ごしたい」だった。
その希望を叶えるため、自費のサービスにもお願いしながら一人暮らしを続けた。
その後徐々に認知症状は進み、庭で何度もコケた。ときには顔を打ち鼻から血を流して倒れているときもあった。コケた際に腰を打ち、一人で歩くことが難しくなったときも母などが祖母の家に泊まり、祖母の希望に寄り添った。
心身ともに疲れがたまっているのは明らかだった。
「お母さんの出来る限りしてあげたいっていう気持ちはわかる。
後悔したくない気持ちも。
でも介護が原因で自分の身体を壊して、仮に介護が必要になったときに
介護をするのは自分の子ども達よ。
そのときに自分のせいで、自分の子どもに介護をさせたって後悔しない?」
自分の病気をおしてまで介護をする母に私は言ったことがある。
子どもとしては、親が介護が必要になれば介護をする。
だけど介護をされる親の立場としては、
自分のせいで子どもに介護をさせないといけないということが
苦しくてたまらないだろう。
周囲のことばかり気遣う母だからこそ、陥りやすい介護の落とし穴だ。
その後、
祖母はコケて入院を繰り返す度に、徐々に祖母から介護に対しての“抵抗”がみられるようになってきた。
結局家でコケて、骨折して、入院して今まで通りに歩けなくなる
というよくある流れから、自宅に戻ることが難しくなった。
祖母は特別養護老人ホームという、いわゆる介護施設への入所となった。
施設でも介護拒否は続いた。
コップを投げる。
職員の方を叩く。
食事を食べない。
などなど…
精神薬の調整をしてもらいながら落ち着くこともあったが、
それからは徐々に体力的な衰えから、拒否をする体力がなくなっていくという方が強かった。
そんな日々から半年。
食事を食べる量が減り、点滴の回数も増えていった。
そしてさらに2週間。
ついには全く口からは食事が摂れなくなった。
大晦日の日。
施設から私へ連絡が入った。
「もういつどうなってもおかしくないと思います」
すぐに祖母がいる施設へ向かったところ
目を瞑ったまま大きく口を開けて、呼吸をしている祖母の姿があった。
その夜は施設の方のご厚意で叔父が祖母の横で泊まらせていただいた。
そこから数日、その状態が続いた。
そして1月4日。
再度施設から連絡があった。
「いつどうなってもおかしくないと…」
最初にこの言葉を聞いてから数日間この言葉を聞き続けたためか、
「ほんとに?」
「今度はホントなんだろうか?」
「またそこから数日頑張るんじゃないか?」
そんな想いも抱えながら、施設へ向かった。
到着してすぐに、看護師の方より現在の状態の説明があった。
血圧も収縮期血圧で58、声をかけての反応もほとんどなくなっている。
祖母の部屋には、叔父夫婦・親戚夫婦・母、そして私がいたが、
このコロナ禍という状況もあり、親戚夫婦はすぐに帰った。
そして叔父夫婦も、夜間帯に備え一度自宅に帰った。
祖母の部屋に残った母と私。
母はベッドの横に座り、祖母の顔を眺めながら話しかけていた。
次第に一つ一つの呼吸の間隔が遠くなっていき、母が言った。
「次の息を吸わないんだけど…」
その後何度か呼吸をした後
眠るように息を引き取った。
最期に母がそばにいるときを見計らっていたのかな。
そんな二人だけの時間になるときを待っていたのかな。
そして通夜、葬儀と滞りなく流れ、
出棺前の最期のお別れのとき。
祖母の大好きだった花や、
水着、あんぱんなどを棺に入れ、
すべて入れ終わって、
最後に祖母に近寄っていった母。
祖母と額を合わせ
「大好きだよ」
と小さく祖母に声をかけた母。
その言葉を聞いた途端、
私は心の中で
「ごめん」
とつぶやいた。
母のその言葉は、なんだか私にはすごくずっしりくる言葉だった。
母自身が
介護疲れで倒れてしまわないようにした結果、
介護をしたくても
気持ちに整理をつけながら
距離を保っていたのかな。
これに答えはないのかもしれない。
だけど、
少なからず言えるのは、
こんな最期のときに、
「大好きだよ」と言われるような人
そして
「大好きだよ」と言えるような人
になりたいと思う経験だった。