義母が倒れて1回目の入院の後の記事でこのブログは途絶えていましたが。

読み直して改めて思いました。

この記事を書いてる時はまさかこんなに早く亡くなると思っていなかったのです。
むしろ『これから病気を抱えながら暮らしていく義母をどうやって支えていくのか、誰が中心でサポートするのか、結局私しかいない…何年続くのか…』と思っていた時期でした。←私の葛藤の時期。

義母の病気は悪性リンパ腫でした。

奇しくも…今、闘病している笠井アナウンサーと同じです。
抗がん剤治療や、それにともなう不調についてなど…あまりにもわかりすぎるくらいわかるので、笠井アナウンサーのブログが読めません。
→義母のことをリアルに思い出しすぎてしまう。

ただ…

悪性リンパ腫は、抗がん剤治療の効き目が高い病気だと言われています。

そのため、発症してから9ヶ月で亡くなった義母は…
本当に運が悪い、悪かったとしか言いようがないのです。

それでも、1回目の入院から抗がん剤治療の後、2ヶ月ほどで退院し、その後約3ヶ月は自宅に戻って過ごします。退院してからしばらくは、体調もかなり元に戻り、本人も楽しそうでした。

2回目の入院は10月の終わり。

この時は、誰もが驚くほどの早すぎる再発。
しかも、急に悪化。
年内は危ないかもしれないと言われるくらいの悪化で展開の早さについていけない。
こんなことってあるの?!と、思いました。

もちろん、本人もものすごいショックを受けており、あんなに辛い抗がん剤治療を受けて良くなったと思っていたのにどうして?!という、怒りと悔しさ、悲しさ…投げやりになっていました。

もう治療はしない、と。

それでも、まだ、治療法がないわけではないと。
まだ、投げ出すタイミングではないと。

主治医からも説明されて、もう一回頑張ってみるとなんとか前向きになったのが11月。

年を越せないかもしれないと言われた義母は、退院こそできなかったけど、年末年始は一時退院ができるくらいまで安定していました。

2019年の元旦。
皆さまは覚えているでしょうか?
その日の東京は冬とは思えない暖かさで穏やかな晴天。平成最後となるこの年は、良い年になるのではないかと思わせるいいお天気でした。

ゆっくりゆっくりでしたが、氏神様の神社に初詣に行くことが出来たのです。
これが、みんなで、揃っての最後の初詣となりました。この時、私はまさか義母がこの後亡くなるとはあまり思ってませんでした。

むしろ、入院期間を終えて、次にどうしたらいいのか?どうすべきなのか?
おそらく私がサポートしなければならない…仕事はどうしよう、私はどうしたらいいのか…そんなことを考えてばかりいました。

いつまで続くんだろう。
という思いは、それは義母がそんなに早く逝くと思ってなかったからこそでした。
それくらい、状態はよくなっていたのです。(見た目は)