こちらは2008年4月19日の記述。


無痛分娩を反対されている人はいませんか?

痛みに耐えてこそなんて言われている人はいませんか?


そんなみなさんに申しあげたい。


気にするな!!!


そして、無痛分娩・・・すべての痛みから解放されるわけではないのです。

子宮口5cm開くまでは、普通分娩と同じ。


その後は本当に楽ですが。


無痛分娩で産んだ私ですが、息子はかわいいです。

もちろん・・・

イライラする日も(というか、毎日だけど)あるけれど。




私は分娩に対する恐怖感がある。
これは、高校時代の保健体育の授業が原因だ。
出産シーンのビデオを見せられたのだ。その時の出産シーンに衝撃を受け、以来「出産=激痛」のイメージがしみついてしまい私の中に残ったの恐怖感のみ。
これをトラウマといわずしてなんというのだろう。

あの授業には十数年経過した今でも恨みを抱いている。あんなもの見せられなかったら、こんな恐怖感を持つ必要もなかったのに・・・

教育・・・本当に重要なことだ。その後の人生に多大なる影響を及ぼす。もう少し配慮していただきたい。こういうナマナマしい現場を見せるというケースについては・・・。

そんな私にも一筋の希望の光があった、それは「無痛分娩」

出産するなら無痛分娩、そうひそかに心に決めていた。

陣痛の痛みに耐えてこそ・・・的な思想が日本には根深く残っているようだ。
迂闊に「無痛分娩したいんだ」なんて言おうものなら(おもにそれは経産婦に多い)総攻撃にあう。

「陣痛のあの痛みに耐えてこそ母親になれるのだ」

「陣痛の痛みを経験しないと子供に対する愛情が薄らぐ」

あほくさい。

いえいえ、それが美徳、それが正しいと思っている方を否定するつもりは毛頭ない。
いろんな考え方があってしかるべき。それぞれにとっても正論があって当然だ。

ただ、私は、私自身「痛みに耐えることが美徳」と思ってないのだ。
回避できる方法があるのに、なぜつらい思いをしなければならないの?
そんなもので薄らぐ愛情なら最初からなかったよーなもんだ。
そんな母性などクソくらえ。である。

じゃあ、子供が産めなくて養子を育ててる人はどーなのさ。そこに母性や愛情がないとでも?
それこそ、偏見なんじゃないのだろうか。

一度これで高校時代の友人と議論になったことがある。

そこでわかったことは「陣痛を耐えてこそ母に」と思っている人とは

わかりあうことはできない。

したがって、それ以来無痛分娩についての是非を問うことは避けて生きてきた。
でも私はずっと思っていたのだ。
「私は無痛分娩で産みます」

実家の母は「里帰り出産」をするものだ・・・と思っていたようだ。私も、その方がいろんな意味で楽だし(正直、今の家は夫の実家を建て直したところにあるので私にとってアウェー感はぬぐえない)じゃあ実家の近くで無痛分娩を扱ってる産院・・・と探してみたのだが、、、ない。

それにくらべて今の家はどうだ・・・徒歩15分のところに無痛分娩の実績数十年の産婦人科病院があった・・・設備も整っており月に100人前後の新生児がそこの病院で産まれている・・・
神様、いいのか悪いのかわかりません。けど、確実にいろんな意味で私にとってはラッキーが続いている。

「お母さん、私●●病院で産みます」

「なんで?」

「無痛分娩だから・・・」

「ヘタレ

何とでも言ってください。そうです、あなたの娘はヘタレです。
ただ、あなたは自分の孫を抱きたかったら

私の主張を受け入れるしかないのです。