2008年4月6日の分です。

いやはや、荒れてますねー。我ながら。


今思えば胎嚢もできてない状態で妊娠に気づいたのって結構すごくない?(すごくないか。笑)



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翌日、私は産婦人科の待合室のソファに座っていた。
予約ができないので、朝来たら受付で名前を書いてくれ、そういうシステムらしい。
9時の診察に、9時に行った時点ですでに10人以上の名前が書き込まれていた。

「・・・どのくらい待つでしょう?」

恐る恐る聞いてみる。

「そうですねぇ・・・1時間半から・・・2時間くらいかな」

・・・ああそう、そんなに待つの。その時点でうんざり。だけど、帰るわけにもいかない。どうせ何曜日来ようと同じことなんでしょ。幸い、多少待たされると思って本を持ってきたのでそれで時間はつぶせる。しかし、少子化?うそでしょ。そう思うくらい待合室にはたくさんの妊婦さん。中には生後1か月検診だろうか、小さな赤ちゃんをいとおしそうに抱き抱えて座っている人もいる。

誰もが自分のおなかをいとおしそうに、子供をいとおしそうに、眺めて微笑んでいる。さならがら聖母マリアのように。

そんな中、不貞腐れた気持で座っている私。
孤独だわ・・・

ここに座っている人たちとは、友達になんかなれっこない。
私はまだ子供より自分のことが優先で可愛いという人間だ。
なんとなく周囲にいる人たちの慈愛に充ち溢れた表情が疎ましく感じられる。
幸せそうな顔しちゃって!!

私はマリア様にはなれっこない! 涙

そう、私はいまだ妊娠の衝撃から立ち直れていない。

「どうしよう」そればかりがぐるぐるとまわっている。欲しくなかったわけじゃない。だけどそれは「いつかは」という、いまだに曖昧で漠然としたものだったことに、今更ながら気づいた。
35歳にもなってと、叱責されようと呆れられようと、現実感をともなう覚悟など所詮私には無理だったのだ。事実を目の前に突きつけられるまで多分それはわからなかったに違いない。

2時間が過ぎ、もってきた小説も読み終わり、いい加減尻も痛くなってきたころ、やっと診察室に呼ばれた。

「市販の検査薬で陽性だった?」
「はい」
「それじゃ、ほぼ妊娠だと思うけどこちらでも尿検査したから。結果見ましょう。」

「・・・うん、妊娠だね。じゃ、ちょっと子宮の様子をみてみようか」

内診と超音波検査を受ける。30歳から人間ドックの婦人科検診を受けるようにしていたので、さほど抵抗感を感じない。この辺りは30歳過ぎのゆとりってやつだろうか。笑

「まだ、胎嚢(たいのう)っていう赤ちゃんの部屋ができてない状態だね。検査結果の反応は妊娠はしてるけど・・・これじゃ子宮外妊娠かどうかもまだわからないし、とりあえず2週間後にまたきてください。ただ、妊娠していることを忘れないで。無理はしないこと。」
「はい・・・」

まだ、どうなるかわからないので「おめでとうございます」も言われないんだ。
診察した医師も淡々としている。
なんとなく、それが今の私にはそれでいいような気がした。

子宮外妊娠なら産めないかもしれないし、流産する危険性だって十分ある、現時点では医師も私が産むか産まないかもわからない、その状態ではまだおめでとう・・・ではないのか。
そんなことを考えながら病院を後にした。

ずっと切っていた携帯電話の電源をいれるとダンナからメールが入っていた。

『どうですか?結果わかったら連絡ください』

1月の終わり 妊娠4週目に入ったばかり。
それが私の診察結果だった。