今日、美容院で雑誌をパラパラっとめくっていたら香山リカのインタビュー記事が掲載されていた。

勝間和代VS香山リカの話は、ちらっと目にしたことがあったが、その詳細まで追い切れていなかった。

なんかどっちもどっちで笑えた。


かつて、産休に入る前「ぢろりさんには勝間和代を目指して欲しい」とある人に言われたけど、そしてその時勝間和代の本はごまんと書店に並んでいたけれど。


私は一冊も読まなかった。


なぜか?


んー・・・なんだろう、なんか私的には「読んでみたい」「目指してみたい」というピンとくるものがなかったんだよね。直観的に。ただそれだけ。

ネットで勝間和代という人についてちょっと調べてみた結果。


私に勝間和代を目指して欲しいといった人は、私が勝間和代タイプだと思ってたみたいですが。笑

私はたぶん全く違う。笑(彼女の著書を一冊も読んでないので「たぶん」としか言いようがないのだが)


私が尊敬している人は、例えばこんな人


山口絵里子氏


本も買って読んだ。そして、マザーハウスのバックを買おう買おうと思いつつ・・・今もまだ買ってないのだけど。近いうちに買います。

買います、今年は絶対に!!


話がそれましたが。


勝間和代も香山リカも、どちらも目指したいと思う人がいていいような存在だ。

一般的に言う成功者だもの。

でも、そこに行きつけるのはほんの一握りの人だ。

平凡が幸せだなんて、あなた方のどちらに言われても・・・へっ・・・て感じでございます。


ああなりたい、こうなりたい、ちょっと頑張れば近づけるかもしれない


みんなそんな「憧れ」をどこかに持っている。読者モデルが人気なのはそんな一面もあるからじゃないの?

私もなれるかもしれない!


かくいう私だって、VERYなんて開いてみて「綺麗にしているワーママ」「協力的な夫、かわいい子供に囲まれた幸せそうなセレブ風ご一家」の記事を見ると「・・・・なぜにここに行きつけないのか」と悩んだり、アメブロのランキングの上位に君臨しているような素敵なワーママのブログを読んだりして「私はなぜこうなれないのか」なんてため息をついてみたりするのだ。


くだらないけど。笑

私はそんな俗っぽい人間だ。


彼女たちと私とどこが違うのだろう。


とか


彼女たちが手に入れられて、手に入れられない私は何がいけないのだろう。どうしたらよいのだろう。


なんてね。荒れ放題の自分のヘアスタイルやら、山盛りになった洗濯ものカゴ、夫がちらかした洋服をみてはやりきれない気持ちになる。



だけど、心のどこかではちゃんとわかっている。


他人をうらやんでもしかたがない。

他人と比較した瞬間に、自分の幸せを見落とすことがある。


人類の大半の人たちは無名のまま死んでいく。後世に何かを残せる人間なんて、本当に本当に一握りなのだ。今、どんなに成功したように見えた人たちだって・・・100年後には結局他の誰かにとって代わられているのだ。


自分がベートーベンにもなれず、ピカソにもなれず、湯川秀樹でもないのなら・・・・


そんな小さいことでぐだらぐだら考えるのは愚の骨頂といえるだろう。


でも、日々悩むのだ。

小さい人間だから。笑

そして、うらやむのだ。

成功しているように見える他人を。


そろそろ『四十にして惑わず』な年齢を迎える頃には、少し落ち着いていたいものです。