今から約1年前のこと


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19日の出産は断念となった私。

20日早朝から、前日と同じことの繰り返し。5:00、6:00、7:00にそれぞれ薬を飲み・・・8:00から点滴開始。

前々日からよく眠れなかったのに加え、昨日は丸一日それなりの痛みをこらえ、さらには恐怖子宮口マッサージもあり、36歳の体には相当なダメージ。精神的にもかなりまいっていた。


助産師さんに訴える。


「すみません・・・すごく痛くて・・・麻酔ってまだですか??」

助産師さんは内診をして冷静に答える。

「麻酔は子宮口が5cm以上にならないとだめです。まだですね」

そして、部屋を出ていく・・・入れ替わりで実母がやってきた。その瞬間どうやら私の中の何かが切れたらしく私は涙&怒りながら実母に訴えたらしい。


「本当は昨日生まれるはずだったのに。痛みが長引くばっかりで全然赤ちゃんは降りてこないし。子宮口マッサージも頑張って耐えたのに。無痛分娩だっていってもこんなにつらいんじゃこの病院を選んだ意味がない。」


正直、何をどう訴えていたか私の記憶は曖昧である。とにかく体力消耗も限界にきていて辛かったことだけは事実だ。



それからまた30分後くらいに(先ほどの)助産師さんがやってきて内診。


冷たく


「まだですね」


一言。


あんたじゃ話になんないよ、師長を呼べーーー




と、言いたかったのだけどもはや言葉にもならない。ベットの柵につかまりながらもだえる私。


それでもこの助産師の仕打ちに対してものすごい呪いの言葉を発していたらしく、後に実母が語ったところによると・・・

「あのままの状態で次にまたあの助産師さんがきたら、アンタつかみかかるんじゃないか、暴言を吐くんじゃないかと冷や冷やしたわよ。もし、暴れたら私がぶん殴るしかないと思ってたわ」




え?殴るんですか?わたしを?




それもまた理不尽な。でも、まぁ、助産師さんだって理不尽だろう。私にそんなにうらまれて。

そう今思えばね、あの人はあの人の職務に忠実であったわけで・・・全く非はなかったんだと思うよ。


でもね、丸1日以上陣痛と闘ってボロボロで早く麻酔を・・・と訴えてる私にあの仕打ちはね・・・冷たく感じられたんだよね・・・まぁ・・・それでも自然分娩の人からしたら甘いのかもしれないけど・・・


※ちなみにこの助産師さんとは退院後、訪れた母乳外来で再開しました。

  むこうは全く私のこと覚えてなかったけどね。私は覚えてたよ。 

  忘れるもんか。 でも、ものすごくいい人でした・・・わはは・・・


ベットの柵につかまりながら、もだえ苦しんでいるところに心から待ち望んでいた師長さん登場。


「ぢろりさん、どうですか?」


私は息も絶え絶えに答えた。


「どうも・・・こうも・・・、もう・・・・痛くて・・・痛くて・・・でもまだ5cm開いてないからって・・・麻酔はまだだって・・・でも、こんなに痛くって・・・昨日からもうずっと・・・我慢してるのに・・・」


「どれどれー?」


師長さんの内診。


「うーん・・・ぢろりさん、あのね、トイレ行ってみよっか?」


はいぃ?トイレ?


今、この柵につかまってうなりながらベットに横たわっているこの私が


トイレに行くんですか?

この状態で?

なんてシュールな!!


とは言えなかった私。しかし、正直なところ内心思ったことは「なにいってんのアンタ。ばかじゃないの」だった。いや、もうとにかくそれくらい苦しくて苦しくて限界だったのだ。


でも師長さんは優しく続けた。


「あのね、トイレに行って帰ってきたらね、赤ちゃんもう少し降りてくると思うの。だからね、トイレに行って戻ってきたら・・・そうね、9時になったら麻酔入れましょう?どう?頑張れる?」


時計をみたら9時まであと10分だった。人間、明確なゴールを指示されるとやる気がわくってものだ。

そうか、トイレに行って帰ってきて、9時になったら麻酔入れてもらえるんだ。あと10分頑張ればいいのか。


「・・・・トイレ・・・・行きます・・・・・」


もはやどうやってトイレにいき、そこで何をしてどうやって戻ってきたのかわからない。点滴台にすがってすがって、よろよろよたよたと行って帰ってきたと思う。とにかくこれを乗り越えたら麻酔が入れてもらえるんだ。その一心で。


そばで見ていた実母いわく「いやー師長さん上手いなって感心したわよ。あんたがよたよたしながらトイレにいくのをみてびっくりした。だって、ちょっと前のあんたはトイレなんて絶対行けそうにないくらい痛がってたんだもの。師長さん、さすがプロね。」と、後に語っていた。


そして、約束通り9時になり麻酔がやっと注入された。

前日も前々日もろくに眠れなかった私は、麻酔が入ってからあっという間に眠ってしまったようだ。


気付いたら部屋に母はおらず、ダンナがぼーっと座っていた。

壁の時計は12時50分くらいだったと思う。


「あ、起きた」


ダンナは私の気配に気づいてこっちを向いた。


「お前ずーーーーっと寝てたぞ」


・・・ばか野郎・・・その前が地獄だったんだ。どんだけ苦しんだと思ってるんだ。でも、麻酔がきいているし寝て起きたばかりだし反論する気力もない。

でも、痛みがないのと少し眠ったのとで朝よりは少しましな気分ではあった。


「お母さんは?」


母がいないことを心細く感じ聞くと、お昼ご飯を食べに外に出ているとのことだった。もうじき帰ってくるだろうと。


「そっか・・・」私はまたうとうとし始めた。


気付くと母は戻ってきていた。ダンナと何やら話している声が遠くの方に聞こえている。というか、私が寝ていて意識朦朧としていたから遠くでしゃべっているように聞こえたのだろうが。


ドアが開き、師長さんが部屋に入ってきた。壁の時計は1時30分。


「ぢろりさん、少し眠れたみたいでよかったわ。ちょっと内診するわね」

「はい」


・・・2日前に入院してから何回内診があったことだろう。もはや「はいどーぞ」って感じ。恥ずかしいとかヤダとかそんな感情はどっかに吹っ飛んでいる。


そして2時10分くらい前に、再度師長さんはやってきて言った。


「赤ちゃん、だいぶ降りてきてるわよ。ちょっと呼吸する練習してみようか?はい、私の言うとおりに呼吸をあわせて・・・はい・・・・吸ってーーーーはいてーーーーー・・・・吸ってーーーーーはいてーーーーー」


言われたとおりに息を吸って吐く。呼吸法については、切迫早産で入院している間に一度分娩室の看護師さんが部屋にやってきて説明をしてくれて一緒に練習したことがある。まぁ、結局その場になると一切抜けてしまっているのだけど。笑


師長さんはドアから出て行った。

私も母もダンナも「そろそろか?」と思ったが、まさか10分後にあらわれて分娩室に連れていかれるとは思ってもいなかった。そんなに急展開するとは思っていなかったのだ。


9月20日午後2時、師長さんがやってきて言った。


「ぢろりさん、分娩室に行きましょう」