今から約1年前の話

最初から読む場合はコチラ


入院の間、いろんな人がお見舞いに来てくれた。

雑誌を買ってきてくれたり、本を持ってきてくれたり、お花を持ってきてくれたり、アロマグッズで癒してくれたり、ジュースやフルーツの差し入れも・・・

でも、そんなことよりも何よりも


来てくれたこと


それが嬉しかった

みんなそれぞれ忙しいのに

休みたいだろう週末の休みを使って

早く家に帰ってくつろぎたいであろう仕事の帰りに


私を訪ねてきてくれる


1年経った今でも思う。

本当に、ありがとう。


私は今まで入院をしたことがなかった

入院している人のお見舞いに行ったことはあったけれど

だから、お見舞いに行った後の病室で残された人が

どんな気持ちになっているかなんてわからなかった・・・


源氏物語で、須磨に流された光源氏のもとに頭中将が訪ねていくシーンがある。

二人の友情がわかるとてもいいシーンなのだが

頭中将は当然都に帰っていく。そのとき源氏は頭中将を見送りながらつぶやくのだ。


「故郷をいづれの春か行きて見む うらやましきは帰る雁がね」


これがぴったりの心境だった。


そしてよく思ったのだ。

ああ、父もこんな気持ちで私たちをベットの上から見送っていたのだな・・・と。

ああ、祖母もこんな気持ちで私の帰る姿を見ていたのだな・・・と。


でも、私なんて全然いいのだ。

だって退院のメドがついているのだもの。

子供が産まれたら家に帰れるのだもの。

(しかし、今思えばこれだって100%ではない。出産による妊婦の死亡率は激減しているが、ノーリスクではないのだもの。お産は病気ではない。でも命がけだということを忘れてはいけない)


そして思ったのだ。

これから私の友人や家族が入院したら、自分の時間が許す限り病院へ行こう。と。


今までもできるだけそうしていた。だけど、時間がとれなくてつい失礼してしまうこともあった。


もちろん、友人の場合は「お見舞いにきてほしくない」という場合もあるだろう。

無理強いをするつもりはないけど。


私は、お見舞いにきてもらえてうれしかった。

ほんの束の間、外の空気を運んできてくれるお見舞いがうれしかった。


自分がしてもらって嬉しかったことを、できるだけ人にも返していこう。

そう思ったのだ。


写真は、そんな病室に増えていった癒しグッズ



今日も生きててありがとう迷える母親奮戦記


今日も生きててありがとう迷える母親奮戦記

今日も生きててありがとう迷える母親奮戦記


は?


当時36歳年女でしたが、何か。


ちなみに、マグセントの点滴にはこんなかわいいマークがつけられたりしていた。笑

(昔、マグセントとウテメリンはパッケージが似ていたため間違い防止にこんなマークをつけていたそうだ。現在、ウテメリンとマグセントのパッケージは全く似ていないが、その頃の名残なんですーとは、看護師さんの弁)



今日も生きててありがとう迷える母親奮戦記