今から約1年前のこと・・・
最初から読む場合は コチラ
「絶対安静」「早産阻止」というキャッチフレーズのもと入院生活がはじまった。
しかし、その生活は実に「淡々とした」もの。
結局「絶対安静」=「寝てるしかない」
自分ではどうしようもないお腹の張りと静かな戦い。
私自身は何ひとつ変わらず寝ているのに、時に激しく張り、時に落ち着く。全くもって手も足もでない時間が流れていく。
点滴の濃度は日増しに上がっていき、担当医からついに
「ステロイドを打ちましょう。これは赤ちゃんの肺機能の形成を促進するものです。赤ちゃんが早く生まれてきて一番まずいのは、まだ肺の機能が形成されていなくて、自分では呼吸ができないからです。ステロイドを打つことで万が一早く生まれてきてしまっても赤ちゃん自らが呼吸できるようにしましょう。これ、筋肉注射だから痛いですけど。2回打ちます」
何でもいいです。赤ちゃんの安全が確保されるなら
矢でも鉄砲でも持ってこい!
今更注射の1本や2本、どうでもないという気持ちの私だった。
そして私はまんまと新人看護師の筋肉注射練習台となったのである。(2日とも)
ちなみに筋肉注射はあまり痛いと感じなかった鈍い私…
点滴に注射、部屋から出られない軟禁生活。
コンビニどころか病院の売店も行けやしない!!
テレビはあるけれど・・・なんだか何をみても面白くなくダンナに「ポータブルDVDプレイヤー」をもってきてもらいひたすら大好きな「水曜どうでしょう」と「刑事コロンボ」を見ながらベットでうとうと・・・
決められた時間に運ばれてくる食事。それがこのダラダラした1日になんとかリズムをつけてくれるのだった。
病院の方針で肉・魚は一切なしのベジタリアン食。
決してまずくはないのだけど、まぁ、とにかく「健康的な食事」
日増しにお腹が大きく重くなり、どの姿勢で寝ていても体が痛い。
ベットの柵につかまって右を向いたり、左をむいたり・・・腰が痛くうつぶせになりたくてなりたくて仕方なかった。
この頃は熟睡などほとんどできなかった。
とくに夜中になると前駆陣痛?!と思うような張りがやってきていつナースコールをしようか・・・と思いながらいつのまにか痛みが遠のき、うとうと・・・というような夜が続いた。
面会時間の3時が待ち遠しかった。
実母は我が家に泊まり込み、毎日着替えやお茶を持って病室に来てくれた。
携帯メールは便利だ。
「ほうじ茶、買ってきて」
「雑誌買ってきて」
売店に行けない私は、毎日母に欲しいものをメールするのが日課になっていた。それは同時に「母にわからないものは買ってきてもらえない」ということをも意味する・・・
(いえ、感謝しています。1年たった今も)
ダンナも毎日とは言わないができる限り顔を出すようにしてくれていた。
時には面会時間終了ギリギリの20時にやってきて、病室の冷蔵庫にあるお茶を一気飲みして帰っていったりと・・・
何しにきてんだコラ
まあ、それでも彼なりに心配だったのだろう。ほったらかしにされるよりはましである。ある日私の食事時間にたまたま来合わせたダンナ。
トレイにのせられた病院食をみて「毎日こんなの食べてるの?」と驚く。
まぁ。。。「今日何食べたい?」「肉」・・・そんなダンナからしてみたらこの食事はまったく物足りない食事だろう。しかし今の私にはこれでいいのだ。そんなに食欲もないし。。。
そしてダンナは帰りがけ、しみじみと言った。
「お前・・・がんばってるよな。偉いよ」
・・・ダンナと私は1歳違い。夫婦というよりライバルといった方がよく、常に張り合う間柄だった。
お互い「お前には負けない」という意識が強く、お互い滅多に相手を褒めたりしない、そんな夫婦だった。
それなのにダンナが私を褒めている!!私を認めてくれている!!
なんとなくジンとしてしまった。そうだ、この人は必死で子供を守ろうとしている私をわかってくれている。そんな私を褒めてくれている。不覚にも目頭が熱くなる。
「お前、本当に偉いよ。。。。
あんな食事で文句も言わず黙って毎日」
あんたの称賛ポイントは・・・
そこーーーーーーー???
別の意味で目頭が熱くなったよ。