今から約1年前のこと


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先生はきびしい顔で続ける


「切迫早産だね。この張りの間隔がどんどん短くなるとね、陣痛につながる。陣痛が起きたら赤ちゃんは生まれてきちゃうんだよ。あなたはまだ29週目。赤ちゃんは今生まれてきても生存確率は高いけどね・・・でも、赤ちゃんのためには少なくとも36週まではお腹に入れて育てたいだよね。しかもウチにはNICUがないから・・・今生まれてきちゃうとウチでは受け入れられないんだよね。ウチで出産できるのは35週から。だから、入院して安静にしてせめて35週まではお腹で育てたい。わかる?」


なに、どうしたの?一体どうなってんの私。

まさかそんな重大事につながるなんて思ってなかった。切迫早産?

昨日まで普通に働いて動いて・・・そんな私が切迫早産?


無理をしていたんだろうか?お腹の赤ちゃんに負担をかけていたのだろうか?

そう思ったら涙がこぼれた。

そんな私の様子を見て、さすがの先生も仏心がでたのか「体質もあるし、何が原因とは言えないからあまり自分を責めないように」と言って、入院の手続きをするように私を促した。


呆然とした私が診察室のドアをあけて出ると、ガラーンとした人気のない広い待合室で並んで座っているダンナと母の姿が見えた。

あんなに混雑していたのに、今は二人しかいない。

その二人が私の顔をみると、相当私はひどい顔をしていたんだろう。


「・・・どうしたの?」母が心配そうに聞いた。


「入院だって・・・」


「はぁ?」


ダンナと母が今度は衝撃を受ける番だった。


「いつから?」「なんで?」「いつま?」


それについて説明をしようとしていたら、車いすが私をお迎えにきた・・・


「ぢろりさーん、こちらに乗ってください」


何、私そんなに重病人?!


と、同時に『ならこんな待合室で3時間近く待たせていたのは本来問題になるべきでは?っつーか今朝電話で対応した看護師、出てこいコラ』という怒りがフツフツと湧いてきたのも事実。


車いすに乗せられ、3階にある産科病棟につれていかれ、あいている個室にいれられ・・・短時間のうちに私はすっかり入院患者となった。今朝、家を出てきたときは全く予想もつかなかったこの展開。

産科病棟の看護師さんがやってきてテキパキ点滴の準備を始める。

この日から実に1カ月。私の腕から点滴がはずれることは1度もなかった・・・


「これはウテメリンの点滴です。今、飲んでいるお薬は全部やめて、ウテメリンの点滴に切り替えます。飲み薬のときにも説明があったと思うけど・・・・ウテメリンで動悸がしたり熱がでたりだるくなったりします。副作用です。あまりつらいときは言ってくださいね。でも今は本当に少量しか点滴していないの。症状にあわせて点滴の濃度を変えていきます。これで張りがおさえらればいいですが、これでも効かない場合は別の点滴を追加します」


説明を受けながら、だんだん気持が落ち着いてきた。どうせ今日から産休だったのだ。

入院したって誰に迷惑をかけるわけでもない。(家族は迷惑だけど)

なら、もうのんびり入院生活を送ろうと腹をくくった。

不治の病で入院しているわけではない。入院の中でも、運のいい方の入院だ。

だって、長くても出産が終われば帰れるのだから・・・


一番最初に出会った産科病棟の看護師さん、神原さん(仮名)はとてもテキパキした感じのいい人で


「多いんですよ、最近切迫早産。入院される多くの方は『張り』の自覚がないんです。でもわからないですよね。初めてなんだから・・・。だからこそ、入院されて安静にされていた方が安全なんです。ここにいればいつも看護師が対応できますし。切迫早産になったからって自分のこと責める必要なんてないですよ。ご自分のこと、責める方が多いんですけど、気をつけていてもなってしまう場合だってあるんです。原因はコレということが言えないんですから」


そう言って凹む私を勇気づけてくれた。


「35週を超えるまで、一緒に頑張りましょうね」


その一言がなんとありがたかったことか。

しかしその時点で35週まで1カ月以上・・・もしかしてここに1カ月?!


いえ、もしかしなくても1カ月でした。