最近楽しい記事を書けなくてごめんなさい。
それから、そんな私に対してコメントして下さったり、メッセージを下さる方、ありがとうございます。
子供の死というのは本当に本当に耐えがたい経験であり、その経験はそれぞれに異なるものだし、乗り越えようとする方法だってそれぞれだと思います。
これまでもこれからも時々こうして二人の子供のことや、それについての私の些細な気持ちを綴ることがあり、その内容について共感できない、あるいはネガティブな気持ちにさせられた、と思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、ここに綴る内容は私だけの経験によるものなので、これからもどうか気持ちのままに素直に書いていくことをお許しください。
* * * * * * * *
昨夜、もう1度自分の今の状態を考えながら夫に少し話をしてみました。
最近、年明けくらいから気持ちがとっても不安定になってしまっていること、以前に比べ、時間が過ぎ去った今むしろ小さな赤ちゃんやベビーカーを押して歩く女性、テレビの出産ドキュメントに対して反応して、非常に胸が苦しくなってしまうようになっていること。
そういう自分に嫌悪感を抱き、また苦しくなることが恐いので、できるだけ楽しいコト、モノ、ヒトに接している努力をしていたこと。
ここまで話してしまってから、自分がこうやって気持ちを夫に「話す」ことができていなかったのだと気付きました。
2人目の流産後、私を心配した祖母から電話をもらい、
「こずえがいつまでもクヨクヨメソメソしていては周りが悲しむ。疲れてしまうから元気出すんだよ、みんなこずえが笑っているのが好きなんだから。いつまでも悲しんでいては●●さん(うちの夫)だって嫌になってしまうからね」
と言われました。
そう言われて私もその通り、と思ったし、笑顔でいようと早く通常通りの私に戻るように頑張ろうと努力することは当たり前だと思ったし。
そう心がけて生活している私に周りは安心していたと思うし、私はそれで満足でした。
しかし、祖母の言葉が自分の中で呪文のようになってしまっていて、それに囚われ過ぎていたようです。
自分でそう思うのよりも、ひとからの言葉ってすごく重いのです。
きっともっと自分の気持ちと向き合う時間が必要であったのかもしれません。流産~染色体異常?の流れの中で受けた心の傷をあまりにもないがしろにし過ぎていました。
私が二人目を妊娠したことはまだ初期であったし、一人目のことがあったので両親へも流産の報告をしたときに伝えた事後報告のようになってしまったし、
夫からしたら、本当にわずかな期間しか二人目に関しての認識はなく、両親や祖母からしたら尚更です。
だから当然私の二人目の子供に対しての想いと周りとでは温度差があるように思います。
それに皆に一人目の子供と二人目の子供の「生」や「死」を同じように捉えてほしい、というのもちょっと違いますから。
そう、それで夫に
2人目流産後、そんな気持ちで頑張ってきた、
夫が「こずちゃんはもうすっかり元通りに元気になった」と思っているのだろうな、想像できたから心配させたくないのでなかなか辛い気持ちをこうして吐き出すことができなかった、
夫が二人目のことに関して流産というひとつの「出来事」としてしか捉えていないことに寂しさを感じていた、
自分と二人目流産や染色体異常のことに関して周りとの捉え方には明らかに差があるようなので、どんどん気持ちを押し込めてしまっていた、
と話しました。
夫は少し驚いていました。
「最近コウタの話もすることが少なくなってきたのは、こずちゃんがだいぶ元気に元通りになったからだと思っていた」
「流産後、仕事を再開し、アロマセラピーの資格も取り、たまには外で他の人と呑みに行くようにもなって、とても前向きに頑張っていて偉いな、って思っていた」
「なんだか疲れているような感じがしたのは、仕事や何やらで飛ばし過ぎたのが原因で、いつものことなのだと思っていた」
「時間の経った今、こんなにグチャグチャに泣いてしまうくらいに辛いのだとは思っていなかった」
「もっと早くに気持ちを吐き出して欲しかった。自分に気を遣って欲しくなかった」
ずいぶん泣いて泣いて泣いて夫に本当の意味で気持ちを理解してもらえるように話続けました。
伝わったかな?
伝わったと思う。
きっと、ひとりよがりになっていただけなのです。
この記事を書いている途中にも夫から「泣いているのでは?」と心配になったという電話がかかってきました。(笑)
今日は目が腫れてひどい顔をしています。仕事が休みで良かったぁ。。。