自分のルーツを知る大切さとは

根っこというか

自分が何者なのかが分かるのではないだろうか

 

自分の祖先が何をしていたのか

 

母方の方は小さいころから知っていたし

母の故郷にも何回も行ったことがあるので

その際に祖先のお墓参りもしたことがある

 

村がある部落の近くにある山の中腹に

今思うとあれは卒塔婆だったのかもしれない

木が何本か立っていて

それぞれお墓だったようだ

草ぼうぼうだったのを

親類が綺麗にしてくれていて

一族のお墓をその親類が管理していてくれていた

 

日本の田舎では

親類一族が山などに集まってお墓にしている地方が多いようだ

母は東海中部だが

友達は九州だったり広島だったり

同じく東海中部だったりバラバラだが

しかしやはり聞くと親類一同かたまって山のお墓に入っているそうだ

 

祖先が山からふもとにいる子孫を見守る

というのが日本古来のお墓のスタイルだったようだ

 

これは中国の道教から影響を受けていると聞いたことがある

 

母の田舎はお寺に一応所属していたが

父方は神道なので墓はないとされていた

神道では亡くなったら神になるので

仏教のようにお墓に入るのではなく

仏壇のような祖霊舎(それいしゃ)が家にあり

それにお祈りをするらしい

 

しかしながらやはり父方の祖先のお墓はあったようだった

 

私は父とは疎遠で

父の墓参りや父方の祖先の墓参りをしたことがなかった

というより

そもそも神道には墓がないことすら知らなかった

 

父方には墓はあったのだった

しかし20年前に墓じまいをしていた

 

祖霊舎(それいしゃ)は父が住んでいた家に保管されていて

兄である長男が管理し住んでいるのだが

他人を家に入れることはなく

父の家の前で手を合わせる人もいるらしかった

 

実は兄とも疎遠でほとんど会ったこともなく

私も他人同様に家を訪ねても中に入ることは無く

ただ門前で手を合わせるくらいしかしたことがなかった

 

初めて父の生家を訪ねてみた

 

ド田舎とは聞いていたが

確かにこれといって何もないド田舎だった

行くのに2時間以上、

帰るのに3時間かかった

 

父の実家がどのような家柄だったのかは

母から少し聞いてはいた

 

実はいろいろ生家について調べてはあった

だから所在も知ることが出来ていた

 

父は弟に家督を譲って自分は上京していたのだが

今の当主は管理しきれなくなったらしく

ゆかりのある他の人が管理運営をしていた

 

それでもかつての暮らしぶりはうかがい知ることができた

 

生家を訪ねて

しみじみ

ああ

祖先はこの土間に降りたことがあるのだろうか

とか

父もこの門を通り抜けたのだな

とか

この木はいつ植えたのだろう

など感慨深かった

 

祖先が過ごしていた土地に行くというのは

私には自分が生まれた場所を訪ねるのと同じようなものであった

 

家屋は何回か建て直されているらしく

はるか昔の祖先がどのように暮らしていたのかは

想像するしかないが

それでも父や祖父、曾祖父はこの家屋で確かに暮らしていたのだと思うと

なにか懐かしいような

こう、何かこみあげてくるものがあって

思わず涙してしまった

 

今も当主は敷地内に住んでいるので

それはホッとした

 

父のことを良く知らずに今まで生きて来たので

なんというか

自信が持てた

 

やっと訪ねることができた

 

ご先祖さまの御霊様もきっとあの地にいるだろう

 

あの山を朝夕眺めていただろう

 

落ち始めたオレンジ色のまぶしい輝きを電車の窓から見て

ああやっと帰ってこれたのだなと思った