SNSをうまく使えない。高校生になるタイミングで、友人にインスタグラムを勧められて始めた。しかし、何も投稿することもなく二か月後アプリを消してしまった。なぜこんなことを今思い出したのかというと、大学生となった今インスタグラムのアプリを削除するかどうか迷っているのだ。僕のiPhone8にインスタグラムが復活した経緯は、「大学生になるタイミングで友人にインスタグラムを勧められて始めた。」である。僕は、また繰り返すのか。まるで成長をしていないではないか。なぜインスタグラムを続けられないのか。原因は明確、自意識過剰すぎるのだ。

 

 カタールワールドカップが開催中だ。僕はサッカー観戦が好きで、日本戦を観戦しているときには嬉し涙と悔し涙で二回泣いた。スペイン戦をリアルタイムで観戦して、嬉し涙が出た。この感動を誰かと共有したくなった。友人に歓喜と興奮があふれたLINEを書きなぐり、朝六時に目をこすりながら起きてきた家族にトークのマシンガン。これでも飽き足らない。あふれんばかりの感動はまだまだキャパオーバー。閃いた、インスタグラムのストーリーだ。テレビ画面の中で選手が喜ぶ写真を光の速さで撮影。さあ、投稿だ。しかし、ここで自意識が足止めする。写真だけ投稿するのは違うな。僕はこの時間起きていました、サッカーを見ていましたという報告だけになってしまう。一言添えよう。「勝った!」とか、「やったぜ!」だとつまらない。つまらないだけでなく、この試合を見てその程度の感想しか持てないのかと思われるのも癪なのだ。だからといって、一人で大喜利ストーリーを投稿していると誤解されるような凝った一言も恥ずかしい。一文字目を決められないまま、10分近くが経っていた。これまた問題が発生する。歓喜に満ちて投稿した一言から、10分も考えて満を持して投稿した一言へと変わってしまう。インスタグラムには制限時間があると考えている。感動はナマモノで、鮮度が落ちるまでにSNSに保存しておかなければならない。これが、僕のインスタグラムへの誠意である。結局のところ、「震えが止まらない」とだけ写真に添えて投稿。つまらん一言やなあ。どっと疲れた。友人はみんなどんな投稿をしているのだろうとふと気になった。一人目、「うわあああああああああ!!!」。二人目、「きたあああああああああ!!」。三人目、「やったああああああああ」。さっきの10分が恥ずかしくてたまらない。

 

 決めた、来年は「あけましておめでとう!!」と投稿しよう。僕も新年をみんなと同じように祝おう。ところで、「おめでとう!!」の!は一つのほうがいいだろうか。それとも、!はあればあるほどいいだろうか。