昼間から楽しんでしまった(笑)。
photo:01



iPhoneからの投稿
「どん底」ってどんなところだろう。

そこは燃えたぎる炎の世界でもなく、
底なし沼のようなぬかるみの状態でも
ない。

どん底は学校や病院のようなひんやりとした固い床にひとりで仰向けで横たわっている様な感じに似ている。

その孤独と静謐と背中の冷たさに慣れることが出来、自分自身を冷静に見つめることが出来たなら浮上と成長への第一歩が歩き出せるのだ。










iPhoneからの投稿

極真空手をやっていることに、今日ふっきれた。
「過度の運動やスポーツは体に毒」との本の一節が、頭から離れず良い年をして、空手に打ち込む自分を疑問に思った。やめることも考えた。
しかし、ある思いが浮かんだ。
空手はスポーツではない。
「武士道」なのだと 。
「武士道」とは死ぬことが前提。
スポーツとは次元が異なるのだ。
自分は「武士道」として、空手を
続ける決心をした。
そして、これからも現役の男として、生き抜く決意をした。

photo:01






昨日は会社の連中と暑気払い&飲みにケーシヨンで焼肉でした✨✨
お互いの壁を、取り払う飲み会も
時には良いものですね。
photo:01



今日は大都会の終電前の電車の中でふと考えました・・・。

自分の人生とは何なんだろうって。

そして、これからどう生きて行こうかと。

人生半ばにして、昔思い描いていたこと、夢もまだ何も形に出来ていない自分。

それでも何故か疾走感だけは日々感じている自分・・・。


そんな中、ある言葉を思い出しました。

愚連隊の神様と呼ばれた万年東一さんの言葉です。


「損を平気でできるのが任侠で、できないのが普通の男だ。

平気で損ができるなら、八百屋の親父でも、タクシーの運転手でも任侠だし、

できなければ、そんな野郎は、たとえ組長でも任侠じゃない。」


自分が求めているものが、この言葉に改めて宿っていた気がしました。

「組織に入っていなくとも、カタギであっても任侠道を歩いていけるんだ。」

そう、思いました。

そう考えたら、楽しくなりました。

「例えば、電車で弱ったお年寄りや妊婦に席を譲ることも立派な任侠じゃないか・・・。」

そんなもんだと思うのです。

「看板背負った組織人であっても、金儲けに狂い、地位にしがみついている様な人間は

任侠とは言えないだろう。」

肩書きや職業は関係無いと思うのです。

そして、こう考えました。

いつまで生きれるのかわからないけれど、自分が死んだ後は、人から

「あいつはカタギの仕事をしていたけど、生き方は任侠だった・・・。」と言われたい。

自分が煙になった後も、そう思われたい。


そんな人生を俺は生きたい。

そんな生き方を俺はしたい。

そんな死に方を俺は目指したい。


そんな思いの余韻に浸りながら、自分は電車を降りて、白い息を吐いていました。

寒空の中、真夜中の電車は家路を急ぐまだまだたくさんの人を吐きだしていました。

街の灯りが自分の道を照らしている様に感じました。








今日から、空手の方も動き初めました。
音羽の護国寺で初稽古です!
いい年して何をやってるんだと、
言う人間もいますがそれは人それぞれ
でいいと思います。
今年も己の道、歩いて行くつもりです

皆様今年もよろしくお願いします!
photo:01





今日は運転免許証の更新に行きました。新しい免許証の自分と五年前の自分を並べて見ました。
五年間で何が変わったのかを考えながら・・・。
photo:01






iPhoneからの投稿
OMATIの「不良」日記-20111010212158.jpg

カリスマに手向けられた花々...。銀座アップルストア前にて。