4月9日の出来事 | まきむく通信(どうでもいいこと書いています!)

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バターン死の行進の日
どうでもいいことを毎日更新中のまきむく通信。
基本的には政治的なことは、思っていても書かない様にしているのですが。。。

・米国様のシリアへミサイル攻撃
・韓国の新大統領選での慰安婦問題
・森友学園が、中国様によって政治問題利用
・北朝鮮の核開発とミサイル・・・米国様が最近怒っている問題
ちょっと気になります。

ところで、4月9日
今日は何の日?というなかで、バターン死の行進が始まった日だとの話を小耳にはさんだのでちょっとブログネタにしてみた。

バターン死の行進=知っていますか?
ご存知の通り、第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦における、バターン半島で日本軍に降伏投降したアメリカ軍の兵士が、捕虜収容所に移動するために徒歩で歩かされたという問題。日本敗戦後に、そのときの扱いが悪かったとして、戦勝国側から難癖をつけられて多くの日本人が裁判にかけられ処刑された。


そもそも、フィリピンのバターン半島にあったコレヒドール要塞に立てこもるアメリカ軍が弱すぎた。それも、あのマッカーサー様が指揮をとっていたからですが、あのマ元帥様は、米兵士を置き去りにすぐさま逃げた(敵前逃亡)卑怯な上官。。。フィリピンから搾取した沢山の財宝を持ち帰っております。


米兵さんの士気が低く、戦闘で人数が減るどころか、元気な捕虜が日本軍の想定以上に増えてしまった。捕虜収容所に使えそうな施設も近くにないという状況。


健気な日本は、戦時国際法にのっとり捕虜を扱う。米軍はトラックなど日本軍に鹵獲されて使われるのを嫌がり、すべて破壊しており、捕虜の輸送手段がない状態でした。そこで、捕虜を収容所まで徒歩で60kmの移動させたという話だ。徒歩での移動は日本兵の行軍では普通に行われていた。しかも日本兵は約30kgの荷物を背負って普通に20km~30kmの移動を徒歩でしていた。捕虜は丸腰で荷物なし。(しかも、4日間をかけての話)


この話に尾びれ背びれが付き、とくに日本人が悪かった、旧日本兵は残忍だという話を捏造したがる。(とくに朝日はすすんで宣伝)

 

そもそも、資源のない国、弱小日本を世界中がイジメて始まった戦争です。相手国の捕虜を自国の兵士よりも、優遇できる余裕はなく、本当は捕虜なんか欲しくないのが日本の気持ちでした。そのなかで、ちゃんと捕虜収容所を作って管理していたのがエライ。歩かされたぐらいでとやかく言うな。(具合が悪くなったり、いままで圧政をして支配し搾取していたから、移動中に現地人に仕返しされたりして死んでしまった人も確かにいるのは間違いありませんが、人間が歩いて死ぬことはない)



その後の捕虜収容所の話が、「戦場のメリークリスマス!」
バターン死の行進=GHQの戦争犯罪情報宣伝計画に沿って作られた捏造(大幅な脚色)話


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