唐招提寺のこと | まきむく通信(どうでもいいこと書いています!)

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薬師寺にひきつづき、行ってまいりました。薬師寺に近接してある唐招提寺


唐招提寺といえば、鑑真大和上
688~763年

唐の揚州に生まれ、14歳で出家し、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に戻り、江南第一の大師と称されました。


天宝元年(742)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の12年間に5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなりましたが、天平勝宝5年(753)、6回目にして遂に日本の地を踏まれました。

以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唐招提寺には有名な
鑑真和上坐像(がんじんわじょうざぞう)があるのです。

 

国宝 奈良時代(8世紀)
脱活乾漆(だっかつかんしつ) 彩色
高さ80.1cm。日本最古の肖像彫刻であり、天平時代を代表する彫刻です。
鑑真和上の不屈の精神まで感じさせる傑作です。
脱活乾漆は麻布を漆で貼り合わせ整形を施す製法で内部は空洞となります。弟子の忍基(にんき)が制作を指導したとされ、今も鮮やかな彩色が残っています。

 


ただし、この鑑真和上坐像は普段公開されていません。
しかし、このたび、昨年より、「お身代わり像」、を拝むことができるようになりました。本像のレプリカ。模像です。。。その模像も、厳重に公開されている。防弾ガラスの奥に鎮座されています。

 

 

 

 

鑑真和上坐像:模像「お身代わり像」の開眼法要 唐招提寺
毎日新聞 2013年06月05日
 
 奈良市の唐招提寺が所蔵する国宝「鑑真和上坐像(がんじんわじょうざぞう)」(8世紀)の模像として制作された「お身代わり像」の開眼法要が5日、同寺で営まれた。本物も同日から9日まで、境内の御影(みえい)堂で公開され、鑑真の命日に当たる6日に法要が営まれる。模像は7日から開山堂で公開されるようになった。
 
 本物は例年、6月だけ公開されてきたが、今年が鑑真の没後1250年になるのに合わせて常時公開できる模像の制作を美術院国宝修理所(京都市下京区)に依頼。像は本物が制作された当時の表情やけさ、朱色の下衣を鮮やかに再現した上で経年変化を反映させた。
 
 お身代わり像は輿(こし)に乗せられ、僧侶ら約40人とともに南大門から講堂へ入った。参列者約1000人が見守る中、石田智圓(ちえん)長老が筆で目をなぞるような所作をして偉業をたたえる「慶讃文(けいさんもん)」を読み上げた。(過去のニュースより)

 

鑑真和上は、中国を捨てて日本の仏教教育に尽力した人物であるため、大陸の人たちのなかには、快く思っていない方がいるらしい。お身代り像も防弾ガラスで守られている。ふーん。
 

 

 

 

 

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