会津の古墳 会津大塚山古墳 | まきむく通信(どうでもいいこと書いています!)

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会津の古墳 会津大塚山古墳


東北の古墳で一番行ってみたかった古墳!大塚山古墳に行ってきました。
東北にも、古墳時代があった。
しかも、ヤマト朝廷の影響下にあったのである。

会津には昔から、四道将軍の伝説がある。
 「崇神天皇は諸国平定のため4人の皇族将軍をそれぞれ北陸・東海・西道(山陽)・丹波(山陰)の4方面へ派遣した。このうち、北陸道へは大彦命、東海道へは武渟川別命(大彦命の子)が派遣され、それぞれ日本海と太平洋沿いを北進しながら諸国の豪族を征服していった。やがて2人はそれぞれ東と西に折れ、再び出会うことができた。この出会った地を「相津」(あいづ)と名付けられたという」 
 
会津の名前の由来が、崇神天皇の時代に遡れるのである。
そして、東北最古の古墳としてこの会津大塚山古墳があり。前方後円墳として造営されている。この古墳のある丘陵の標高は270m、周囲の平地との比高30m。その頂上からは東西10km、南北30kmの会津盆地のほぼすべてが目に入る場所である。しかも東に目を向けると会津の雄峰磐梯山を望むことができる。
その最高所に、この古墳は後円部を置き、前方部は北方に張り出している。主軸長90m、前方部先端幅23m、前方部高3.5m、後円部直径45m、同高6mであり後円部に比べ前方部の幅が狭い柄鏡式前方後円墳である。
葺石や、埴輪の存在などは確認されていない。



会津大塚山古墳
 

 
この看板の説明文にもあるように、この古墳には割竹型木棺が2つ埋葬されており、副葬品としてあの三角縁神獣鏡が出土しているのだ。










前方部から後円部側をながめる。丸くなっているのが分かりますね



後円部に上ると、
竪穴式玄室の部品と思われる石の遺構物が。。。


二つの被葬者の埋葬された木棺は
南棺と北棺と呼ばれており。

南棺の方が古く、副葬品も多いことからも、主被葬者のものとされる。
参考までに、南棺の副葬品を述べると
<鏡>
仿製三角縁神獣鏡
小型変形四獣鏡
<玉>
琥珀製算盤玉
硬玉製勾玉
碧玉製管玉
ガラス製小玉
<武器・武具>
鉄製素環頭大刀
鉄直刀
鉄剣
銅鏃
鉄鏃

<工具>
鉄鉇
鉄斧
<その他>
砥石
石杵

古墳の上から、会津の名峰、磐梯山を望む。。。



副葬品の中の
仿製三角縁神獣鏡とは?
日本で作られた、同じ型で制作された鏡。

この会津大塚山古墳で出土した鏡と同じ鋳型で作られた鏡が、岡山県和気郡備前町の鶴山丸古墳からも、出土しており、同じ鋳型で作られたことと示す同じ傷も確認されている。



岡山!
そう四道将軍伝説につながるのだ。
大吉備津彦の命が吉備の国(岡山)へ派遣されている。
そして、その地に埋葬された。吉備の中山古墳

同じ、四道将軍である、
武渟川別命の墓ではないか?


そんな説もあるのです。



おまけ
大塚山古墳の主墳の北側に2号墳があります。
 


これが、2号墳(円墳) 
陪塚か?





大塚山古墳を含むこのあたりを一箕古墳群というらしい。
 
 
飯盛山には、白虎隊の自刃の地があり観光地となっています。
古墳を求めて行ってきましたが、飯盛山の上には行けませんでした。




↓古墳記事のまとめ↓
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