昨年秋、昔(1976年頃)と今の航空写真を対比できる無料アプリと出会ったので、どうせならと自分の地元を地図を合わせて調べてみたのですが、その後さらに写真が増えたので加筆修正してみました。

 

 1976年というと自分が生まれるよりも少し前ですが、色々な発見もあってなかなか面白いです♪

 それぞれの写真に簡単な説明も加えてありますよー。

 

 

 沼津市役所HPにもあるように、そもそもこの「黒瀬橋」というのは狩野川に沿ったこの地域が近くに黒い水の流れの瀬があったことに由来して名づけられたようなんですね。ところでこの市のHPに記載の「明治26年ごろの黒瀬橋仮橋」、おそらく昭和26年ごろの誤りなのではないかと思います。

 北岸に見える電柱の数もですが、おそらく現浪人川だと思われる大岡地区からの排水口の構造がどうみても明治っぽくはないので。。というか、この写真は明治資料館蔵のものなんですがそこに「昭和26年」と書かれているんで。。

 …今度市役所に尋ねてみようかしら。

 

 

【1963年頃の航空写真と周辺地図】

 

 

 

 

 

 【2017年頃の航空写真】

 

 

 今回この黒瀬橋南側を取り上げたのは、ただ単に地元だからだけじゃなくてこの50年あまりの間にその姿を大きく変えた地域だからなんですよね。だって図書館で閲覧した1963年の市内地図、黒瀬橋よりも東側は該当ページがないんですよ(苦笑)。もちろん航空写真が示すように当時から住宅地もあったものの、基本的には一面に田んぼや畑が広がっている場所だったんですねー。

 

 さらに写真などを見ると明らかなように、そもそも清水町側へ東進する現在の県道139号線もまだ整備されていなければ、現在黒瀬橋からそのまま南進する道路も出来ていない。さらには今はそのほとんどが埋められたり暗渠化されてしまった狩野川からの農業用水『内膳堀』も、まだ地上に多くその姿をとどめている。。

 そう。このあたりがいわゆる現在に近い形になったのは、区画整理が一段落した昭和50年代前半なんですよね。

 僕が生まれるよりも少し前のこと。

 

 だから、自分が生まれる前のことを知るのは面白いんです(笑)

 

 

 

 1963年の地図をあらためて見てみると…うん、家少ない。畑多い。

 

 現在雄大グループの甲羅本店があるあたりには僕が子供の頃には八宏園という旅館があったんだけど、それすらもまだない。。黒瀬温泉ってのは銭湯か何かだったんでしょうか。お店関連だと現在でも営業されているのは、、あ、松見屋さんは法事の時とかにお団子でお世話になってるなぁ。あと黒瀬橋をおりてすぐにある高島石材店さんは現在中瀬町で営業されているお店なのかな。

 ちなみに黒瀬橋北側を東西に走っているのが旧東海道。

 この1963年当時はここを三島広小路から沼津大手町までチンチン電車が走っていました。かつて多くの旅人が、例えば幕末維新の偉人たちも歩いた東海道の上にチンチン電車が走り、そしてそれも姿を消した今でも、同じ道の上を歩くことはできる。

そう考えるとなかなかに不思議なものですなー。

 

【1970年頃の周辺地図】

 

  1970年頃の黒瀬橋付近。まだ区画整理前、黒瀬町のあたりはまだ明らかに今とはちがうし、いまだ内膳掘もかなりの部分が地上に残っています。

 

【1975年頃の航空写真と周辺地図】

 

 

 

 1975年頃の黒瀬橋付近。地図上では5年前とほぼ同じようですが、現在の大通り(県道139号)が計画線として書かれています。実際の時間とのタイムラグがあるので詳細は分からないところもあるのですが、航空写真の方では139号がもう完成しているようにも見える。。

 もしかしたら、道路用地は整備されているもののまだ未舗装・未開通というコトなのかも知れません。

 

 

【1980年頃の航空写真と周辺地図】

 

 

 

 1980年頃の黒瀬橋付近。区画整理がほぼ終了。甲羅本店の横には「区画整理を記念した石碑」が現在でも残っています。

 ただ地図を見る限り、黒瀬橋からまっすぐ南下する道路はまだ完成していないみたい。

 

 では最後にもういちど2017年頃の航空写真をー。

 

 

 

 

(狩野川北岸より黒瀬町を望む)