働くクンメーの事件簿 in バンコク -8ページ目

働くクンメーの事件簿 in バンコク

バンコクで働くクンメー(お母さん)
住み込みのナニーとの日常をつづります。

 バンコクで住み込みのナニーと娘と暮らして2年あまり。今でも思い出すとものすごく暗い気持ちになることがある。

 

 それは、知り合いであるAさんに、その知り合いであるBさんが経営するお店に連れて行ってもらった時のことだ。

たまたまバンコクに来ていた母と私の娘、ナニーも一緒に5人で行くことになった。

 

 知り合いのつながりということで「お茶でも飲みながら」と店内を見せてもらった。

しかし、出てきたコーヒーは3つ。「コーヒーは喉が渇くよね」と言ってペットボトルの水も出てきたがそれらは、Aさん、母、私の前に置かれたコーヒーの横に一つずつ置かれた。

 

 小さい娘はコーヒーが飲めないにしても、ナニーは私よりも年上の大人だ。お店の人には、ナニーが、透明人間のように見えていないかのようだった。

 

 娘は、出されたお菓子を食べていて、そのうち「喉渇いたー!お水ほしい」と言い出した。お店の人はすかさず「気付かなくてごめんね」とペットボトルを出してきた。

 

 娘は自分の水筒から水を飲んだため、ペットボトルの水は飲まなかったのだけど、帰り際にナニーは、そのペットボトルを娘のリュックにしまった。結局ナニーには最後まで何も飲み物が出てこなかった。

 

 その帰り道、私はなんとなく胸にズキズキしたものを感じていた。あからさまな対応の差だけれど、ナニーは何も言わなかった。それがまたつらかった。これは、実はナニーがこれまでも体験してきた差別であり、私が彼女をこの場に連れてきたこと自体が間違いだったのだろうか、とも思った。

 

 郷に入れば郷に従えで、ナニーは「黒子」と考える人がいる状況に慣れなければいけないのだろうか。

そんな事を考えながらうつむいて歩いていると、駅のエスカレーターの下にたたずんでいたホームレスの男性2人が話しかけてきた。

 

 聞き取れたのは「ギンカーウ(ご飯を食べる)」というタイ語。おそらく何か食べるものがほしいということなのかなと思っていたら、ナニーが、娘がもらったペットボトルを私に見せ、「食べ物はないし、これしかないけどあげてもいいかな?」と聞いてきた。

 

 うん、もちろん。

 

 この日、私は、自分が今住む外国にある社会構造を目の当たりにした気がした。それは、その社会構造があるから私は自分の生活を維持できているという、分かっていたはずの事実を改めて突きつけるものでもあった。

 

 この時の感情を言葉で説明しようとするのだけれど、うまくできない。そして、それを丁寧に紐解いて説明しようとすると、自分の消しきれない偽善にたどりつく。

友達に話したとしても、結局、ありきたりな、お茶を濁した、そして現実を変えることはできないむなしい言葉で終わるだろう。

 

 ただ、この日の出来事をもっともそぎ落として説明するとしたら、この一言に尽きる。

 

あー、嫌だった!

 

 嫌だからどうするのか、という結論までまだ出せないのがまたつらいところなのだけれど。