本年より冒頭に私のこととブログ記述趣旨文を写真で挿れることにいたしますこと、ご理解賜りたい。

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本年2月からのコロナ禍で醜い日本人の本性があちらこちらで表れていると強く感じている。

 

差別発言や差別行動は知性と見識の低さ・なさに起因すると、このとこと私は感じるようになってきた。

と言うのも、差別発言で多く見られる「コロナヴィールスがうつるから・・・」の根本には、感染症に対する無知と知る努力の放棄があるからだ。

 

さて、本日は今般のコロナ禍の下、国民を代表する元国会議員の公共の電波を使った「差別発言」を糾弾したいと思う。

 

 

今から1ヵ月ほど前であったであろうか、テレビ番組内で元衆議院議員 杉村太蔵氏(敬意を表す価値がないから以下、敬称を省く)が差別発言を平然と行った。

 

「ホストラブに於いてシャンパンタワーでドンチャン騒ぎをするホストに休業補償は払いたくない」と抜かした。

 

ホストやホステスが在籍している飲食店自体が触法/違法行為なのであれば、感情的、論理的に合理性ある主張だと思われる。

しかしだ、飲食に訪れる客を饗す(もてなす)ことを生業としている彼/彼女等に休業補償せず無償で自主自粛、休業を強要すること、すなわち彼/彼女等の労働を否定し、生存権の侵害及び人格そのものを否定しているのと同じ行為ではないか。

/彼女等は霞を食べで生きているわけではない。

/彼女等も我々一般人同様、何も変わることなく労働をして納税義務も負い、食事をして生存(生活)をしているのだ。

だからこそ、彼/彼女等に自主自粛や休業を求めるのであれば他業種同様、損失補償があって然るべきで、それがなければ職業、身分による公権力による差別行為そのものではないか。

 

今のところ我が日本は法の下の平等が保証された立憲・立法国家であり、憲法にて保証された生存権と人権/人格を毀損する発言に異を唱えない報道機関と、そもそも報道した放送局の見識に憤怒し(自治/自浄能力欠如)、我々国民が報道機関への疑いの目を光らせなければならない本末転倒の自由かつ民主主義という名目の皮を被った共産主義体制傘下の報道機関の監視を強化しなければならない。

時の行政府長と喜々として会食に馳せ参じる報道機関経営陣は不感症だから、世界中の報道機関の笑いものになるのも無理はないが。

 

 

「マスゴミ」と揶揄され、世界中から報道の劣化を批判されて久しい日本の報道機関だが、冒頭でも述べた通り報道に従事する職員やジャーナリストの『知性と見識の低さ・なさに起因する』のだと感じる。

 

もう、ほぼ香港社会と同じ環境、それが今の日本の置かれた状況だ。

いや、もしかするとこの日本国民は香港国民(市民)以下の意識しかないのかもしれない。

「仕方がない(諦め)」、「興味がない(無関心)」はもはや犯罪レベルの意識水準であり、『知性と見識の低さ・なさに起因する』無知から己の存在意義と生存権が侵食されていることにすら気が付かない「哀れな国民」と化しているのではないか。

 

 

さて、数か月前に故 木村 花さんがテレビ番組による「演出」か「撮影現場での強要」を要因とするネット上による『いじめ行為』が原因で自ら命を絶ってしまうという、痛ましくまた『知性と見識の低さ・なさに起因する』無知・無能な制作従事した放送関係者と無知・無能な視聴者による『殺人行為』の犠牲になってしまった。

 

『知性と見識の低さ・なさに起因する』無知・無能は時として誰かを殺すことにつながるのだ。

将来にわたりこの国の教育に希望は見いだせないが、我々一人ひとりが学習を続け、常に『正識(正しい知識のこと 筆者造語)』の習得と『本質を見極める能力』の向上に励むことが、社会全体への義務と大きな還元となるのではなかろうか。

 

杉村太蔵の発言で水商売の世界で働く彼/彼女等が絶望し、自死を選択しないことを強く願うばかりだ。

「料亭で飯が食える」、その程度の人間を国会議員に選んだ国民の責任も重い。