ターミナルなのに、どんなにしんどくてもフラッフラでも絶対にオムツにならず、おトイレへ行く患者様。

多忙な時にナースコールで呼ばれ超スローリーな動作に付き合いつつ介助するのですが、時間がかかって後々めちゃくちゃ忙しくなるので、えー?またぁ?オムツの方が楽やわーと思う時もありましたが。

急変してオムツになりました。
どんなに頑張っても人間最期はオムツよ、と思ったり。

けど。
少し持ち直して眼を開け、こちらの呼び掛けに頷くまでになりました。
そして、今日。
震える手で私の手を握り
『おトイレへ行きたいわ~』と。

もうビックリです。
お母さん、こんなになってまでトイレ行きたいとか、もうホンマにあっぱれやわ!

どんな状態になっても品を保ち尊厳を保とうとする精神に私は負けました。

『凄いね!強いね!カッコいいね!素敵よ』
と握られた手を握り返すとニッコリと仏がかった笑顔を見せてくれました。

お看取りしない家族よ!
私たちナースはこんな素敵な笑顔が見れるのよ!
いや、そうじゃない!
こんな素敵な笑顔を家族にこそ見てもらいたいのが本音です。
大切な家族がまさに命のともしびを灯している最期を病院で…なんて。
もったいない。

この患者様の本心は、おトイレへ行きたいこともそうですが、それ以上に。
『家に帰りたい』
でした。

私はどんな患者様でもその人の身体全てが尊く感じます。
長い歴史が刻まれたシワ、疲れきった身体、闘病を物語った身体、そして元気だった頃のその患者さんの思いや意思を全て叶えて動いてくれたであろう身体、その身体を労ると患者さまの魂がほんの少し癒されているのを感じます。
時に涙しながら本音を語ってくれることもあります。

でも本当の癒しや安心感を与え、何より尊厳を尊重してあげられるのは家族しかいないです。



ってなんだか、在宅推しみたいになってきた!
でも今は核家族で、だいたい共働きで、なかなか家でみるのは難しいのが現状ですね。
病院は病院でコロナ禍で面会できないし、せめて早くコロナが収束して以前のように面会できるといいな。
本日のタイトル
現役医師 山崎章朗先生の著作です。

私は看護師になる前、まさに看護学生になるべく、そこを目指すための受験真っ只中の時にこの本を読みました。
本なんて読んだこともなかったのに。
一気に読破したことを覚えています。

山崎先生の死生観、これが私の看護観に大きく影響して今もなおブレることなく、いやむしろ看護師として経験を積めば積むほどに山崎先生の本を思い出します。
『病院で死ぬということ』

ちなみに、私はこの本を図書館で借りたので手元にはなく1度しか読んだことがありません。
それなのに。

当時、日本の医療では緩和ケアという概念は浸透しておらず、山崎先生の死先観に共感し影響されてしまっている看護学生の私は看護学校の先生に終末期に対する考え方がおかしいと指導を受けたほどてしてした。

患者さんに寄り添え、向き合えと指導されながら、『死ぬ』こと、それまでどう『生きる』かについては触れない看護に戸惑い、どこが間違ってるのが意味不明でチンプンカンプンで質問攻めしていたら、最終的に先生も悩みはじめて『表向きの看護』を指導していました。

今日は
『病院で死ぬということ』
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以前はネガティブブログだったけど、気持ちの変化とともにタイトルも変更。
日記も変更(笑)

特に何かが変わった訳でもなく、変えた訳でもなく、これまで通りの生活を続けてるけど気持ちが変われば見える景色も変わる。

今の生活を悪くないなとも思える。
むしろ今は以前より忙しい毎日を過ごしているのに気持ちが前向きだからか、文句はない。
確実に老化もしてるのに、活動的になれる。

『置かれた場所で咲きなさい』
衝撃的だった本のタイトル。
置かれた場所が地獄すぎてムリ!と読みもせず、もがいていたあの頃。

今なら素直に読めるかな?
今なら素直に置かれた場所で咲けるかな?

角が取れて
まぁーるくなった私の徒然日記
自己満だけどアウトプットの練習として書いていこう。
忙しすぎて三日坊主なりそうだけど(笑)