日本人の、こころ。
急激に変わっていっているように思う。
ビジネスも、そう。
成果主義で、ノルマを果reenex 好唔好たすため、生き馬の目を抜く社会で、
よく意味のわかっていない、世間ずれしてない善良なお年寄りが、
食い物にされている例を間近に見ると、こころが痛む。

お年寄りたちが、一生をかけて守ってきたもの、それは、金銭もさることながら、
精神的なもの、例えば、家族の絆や、先祖崇拝のこころ、
そういうものが、徐々に消えつつあるように思う。

お年寄り一代だけなく、代々、守り継がれてきたものが、消え行く寂しさは、相当なものだろう。
時代が変わったと、一口に言ってしまえば、それまで。
時代とともに、価値観も変わり、お年寄りは、それについていけない、柔軟なアタマを持たない、
そう言ってしまうのは、あまりにも、気の毒な気がする。

次世代の考え方に由るところが大きい。
その次世代は、独自の考え方で、新しい方向を見据え、舵を切る。
古い考えを、きっぱり、すっぱり切ってしまう場合もあるだろうし、調整しつつ進められる場合もあるだろうし、
なにも考えずに、ただただ丸のみして受け入れ、受け継ぐ場合もあるだろう。


ここで、ちょっと、宗教っぽいお話になります・・・

先祖崇拝の考えは、仏教の芯となるようだが、
近年では嫁ぎ先として、長男は毛嫌いされ、姉妹だけの家は、跡取り問題で悩み、
挙句の果てには、先祖の霊を祭る人はいなくなり、永代供養になる。
非合理的だとか、時代に合わない、だとか、労力や、お金が、かかりすぎる、
今の時代、そんな余裕はない、極力、抑えるものは抑え、生きつなぐべき、
そういう考え方もある。
あるいは、自分たちの世代だけ楽しければいい、
その楽しみを削ってまで、理念的なもの、目に見えないものに、身を粉にして仕えるようなことは、したくない、
そんな享楽的な考えも蔓延している。

信仰上の問題であり、べつの宗教を信じている人が跡取りになると、まったく、また話は違ってくる。
地域によって、宗教色は違う。
都市部と田舎では、違う。
先祖代々から住む地に生まれ、そこを一歩も動かない人にとっては、その地の考えが全てである。
流動的に住まいを転々とする人は、流転に応じた考えが根付くだろう。
定着しないので、考えそのものが、根付かないかも知れない。

江戸時代のように、住まいを移すことが許されない、職業の自由もない、
そんな時代でもない、今は、自由自在の時代だ。
「個」が重んじられ、運命共同体意識もかなり薄れてきている。

各自、自分が置かれた立場、位置、状況によって、考えは培われる。

都会では、珍しくもなんともないという、永代供養。
田舎でも、絶家になると、そうなるのだろうけれど。
お年寄りたちが、代々、必死で守ってきたものが、いともカンタンに、時代の波に飲まれてしまうのか。
人の家は、人の家、隣の家は、隣の家。
自分の家は、自分の家。
各自、自分の考え、ポリシーで生きていくのが、いいのだろう。
そうとしか、言えない。

ただ、守り抜くために多くのことを犠牲にして、辛抱強く耐えてきたあまり、
守っていない人々を、見下したり、否定したりするのは良くない。
人は、人。自分は、自分。
自分の考えで選んだ道なら、辛くてしんどくても、ガマンして突き進まなければいけない。
だが、このコース選択は、おそらく、水と油となって、同じコース、同じ価値観の人同士が、寄り集まることになるだろう。

ばしっと、コースごとに、バリケードで分離させる必要はないにしても、
その手の話題になると、ささーっと、差し障りのないことを言って、切り抜けることだろう。
ケンケンガクガクと、討論、議論し合うことではない。
日本とは違い、多数の民族が寄り集まるヨーロッパでは、
社交の場であるパーティにおいては、宗教と政治の話は、タブーとされている。

「ここは、日本だ」という声があったとしても、宗教問題は、話題を避けたほうが、無難だ。

信仰は、自分のためにあるもの。
自分のこころを救うもの。
じゃあ、博愛チャリティの精神は?
わたしは、キリスト教のことは、よく知らないので、安易になにも言えない。

人の目を気にして、彼岸の前に、必死で墓掃除をするのは、これは、信仰か?
自分から自然な気持ちで、自主的に行うべきだが、ルールやメニュー、期日が決まっているので、たいへんだ。
このルール通りに、こなしていると、複雑なものから魂が救済されるのなら、じつに、カンタンかも。
お布施の金額や、戒名の金額で、救済される範囲や大きさが、違ってくるのなら、地獄の沙汰も金次第、で、
じつに結構なことかも?
世の中、金。これで、自分が救えるなら、それはそれで、ありがたいのかも?
(わたしは、肯定も否定もしていません。客観的な目で見ているつもりです)

少なくとも、人に押し付けるものでもなければ、
どう?すごいでしょ!と、自慢するものでもない。
こっそり、ひっそり、しっかり、自分を守るために、人知れずお祈りするのが、よろしいのでは?
ただ、問題は、他の家には関係ないことであっても、家庭内では、個人の勝手でしょ、というわけにいかないこと。
こっそりやっても、「あとは、お願いね」、という時期が来て、継承する人が必要になってくる。
家庭内、もしくは、血縁関係者内で、人材を確保し、結果的に、押し付けることになる。

魂の救済方法は、人それぞれ。
自分のやり方が、いま一歩わからない、確信が持てない人のために、宗教はあるのかも知れない。