自分への疑問解消が続きます【Ⅲ】いつになれば、「ぜひお読みください」という内容になるのでしょうか・・・いつものようにスキップモードで、どうぞ。豊かさとは?国の豊かさ。インフラ充実、教育、保健・福祉、あれこれ、国民の快適な暮らし生活の向上による、こころの豊かさ。→自治体が発行する冊子のような内容になってしまってます。もっと具体的には?
個人によってまちまち、それぞれ。価値観によるところも大きいが、経済的背景も大きい。価値観は、そもそも経済的背景ぬきでは語れないのでは?きれいごとでは、すまされない事柄がいっぱいあり、あえて、政治家や金持ちはそれをほじくろうとしない。見て見ないフリ有機美容。
社会の色々な人々が幸せを感じる、こころを救済するには、宗教しかないのかも。個人ブログで、こんな差し障りのないことを言っても、なんの発信にもならないし、効果もない。第一私は、形式はさておき、実質的にはほとんど無神論者だし。私は、なぜか怒っている。ご機嫌ななめだ。しかも、どうでもいい、自分には全く関わりのないことで。そんな自分の感情の理由が知りたい。また分析癖が始まった。前置き、長すぎて、ごめんなさい。(いつも、こう)私は、あるブログに接すると、いつも気分を害する。甘すぎるケーキを食べたような、女性週刊誌を読みすぎたような、自分でも分からない、気分の悪さを感じる。なぜ?幸せの尺度が、「似て非なるもの」だからだろうか。いっそ全く違っていると、気にならないし、むしろ刺激、起爆剤になる。それなら、見なければいいのに、なぜか見てしまう。気になるのだろう。なぜ、気になるのか? 堂々巡り。ほぼ理由はわかっている。だから、ご機嫌ななめになる。認めたくないのだろう、その理由を。自分がミジメになるから。自分の生き方、方法は一般的でないと感じるから。自分は自分。人と比べてどうこう思うなんて、この年になって、お笑いだ。でも、いくつになっても、頭のなかみ、小さい人は小さい