実家で、祖父の50回忌の法要があった。

明治~大正~昭和を生きた祖父。
それからまた時代は平成を迎えた香港酒店
祖父の死後、ひとくちの50年といっても、山あり谷あり、
喜怒哀楽に彩られ、家族は変化していった。
商才のある人、ない人、幸運な人、不幸な人、成功する人、失敗する人膠原自生、、、、
家族を取り巻く周りの人々も、時代とともに浮き沈みの波があった。

明治時代の生き方沃恩
時代背景も違うし、生活様式も違う。
祖父は、この家で、生活し、同じ場所で一生を終えた。
父もそこで生まれ、育ち、亡くなった。
家から数分の、同じお墓で、みんな眠っている。

私の知らなかった、祖父のエピソードをたくさん聞かせてもらった。

祖父の代は、この家に大勢の人々が出入りしていたようだ。
ご隠居後の祖父のところには、囲碁を打ちに、いろんな人が遊びに来た。
お寺の安寿さん(尼層)も話し相手に訪れ、
誰や彼や来て、ついには駐在さんまで遊びに来たそうだ。
犯罪など縁のない、平和な山間の里、
退屈しのぎにお巡りさんが遊びにくるなんて、のどかな時代だ。



私たちも次々とこの家で生まれ、育った。
私たち兄妹は、小さい時は、あまり母に育てられた強烈な記憶がない。
両親は多忙で、誰か彼か、身近にいた人々に子守りをしてもらったようだ。

法要の席では昔話に花が咲いた。
兄は、遊んでもらったり世話を焼いてもらった、懐かしい人々の話をした。
私は私で、また別の人の名前を挙げた。
女子大生のスラリとしたお姉さんも、
ある時期、家に滞在していて、ピアノのレッスンをサポートしてくれた。
地域の小学校に単身赴任しているハツラツ女性教師も、離れで下宿していた。
私は幼いながらに、聡明でとても美しい人だったと記憶している。
姉は、当時、同じ屋根の下で、我々の世話をしてくれていたTちゃんという人が、
よく作ってくれたドーナッツを食べたことが、いつまでも印象に残ると話す。
私は病気のときに、Tちゃんに食べさせてもらった葛湯を思い出した。

兄妹それぞれ、色んな人に、母親、父親代わりをしてもらっていた。
その中でも、祖母には本当によく面倒を見てもらった。
祖父を献身的に介護して見送った後も、祖母は、最たる縁の下の力持ちだった。
黙々と家のために働く、芯の強い明治の女性だった。

多くの人と接しているにもかかわらず、
今、私はどうしてこんなに非社交的なのか、自分でも分析できないが。。。

若い頃は、なんとも思わなかったこと、むしろ煩わしいと感じていたことが
それが今、この年になって、
不意にズシッとくることに出会ったり、心にじわっときたり、
心の目を通して見える景色が、少しずつ移ろっているのを感じる。
年を積み重ねるごとに、心のヒダが幾重にも増したからなのか。

祖父は、その後の家の動向を、どんな目で見続けているだろう。
静かに見守ってくれているのだろうか。
昔のことを知っている人々が、亡くなっていき、時代はどんどん進み、
過去は忘れ去られようとしている。
時代が変わるにつれ、価値観やライフスタイルは大きく変わる。
その中で、変わらないものもある。
お年寄りたちは、素晴らしい功績を残し、子孫に伝えている。