若者たちは、五度死ぬ。 -9ページ目

若者たちは、五度死ぬ。

The Underground Youth

だから

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こんにちは!

実は最近新しいことはじめました!!

人生を面白くしたいひとは、変えればいいと思うんだ。
住む場所。付き合う人間。仕事。趣味。


いろいろ挑戦してみればいい。
おれは、もっと人生を面白くしたくて、いきおいあまってスカイダイビングしちゃったよ。

結局、やりたいことをやればいい。


やりたいことで稼げたら最高じゃない??

というわけで本題!


「小説家になりたいのなら、本をたくさん読み、大量の文章をあびよう」

村上春樹さんがあるコラムで、そう書いていました。


上手な文章はもちろん、下手な文章も浴びるように読む。

そうやって、大量の情報に埋もれることで何が起こるか。


おれはその最中で、紛れもない自分を見つけると感じてます。


どういうことか、っていうと
どの文章が上手か下手か、好きか嫌いかは自分で決めるからです。

人間は関係性の生き物。


だから、
自分が上手だと思う表現、好きな表現へ自然に傾倒していく。
そして、下手だと思う表現、嫌いな表現からは自然に遠ざかっていく。

好きな表現、嫌いな表現は人それぞれ。


だから、
好きな表現と嫌いな表現の取捨選択は無限に存在する。

その取捨選択は自分次第だから、そこに個性が投影される。
個性が投影された取捨選択に、紛れもない自分がいる。



取捨選択は無限に行われます。


無限に行われますが、
好きな表現が一つだけで、嫌いな表現も一つだけだったら、絶対誰かと被りますよねf^^;;


もしも、
村上春樹さんの作品だけが好きで、太宰治の作品だけが嫌い。
っていう小説家がいたとする。


そいつの書いた作品って、すごいつまらなそうどだと思いませんか?

つまらなそう。っていうか、村上春樹さんの表現に似た作品が出来上がる。


彼の作品は、ただの村上春樹さんの劣化コピーでしかない。

被ってる。としか言いようがない。


だから、一つに固執することはマジでやばいと思うんです。


一つに固執することは、主人に笑顔で尻尾を振るという追従だし、
自分を劣化コピーに仕立て上げていることなわけ。


例えば、
野球だけが好きな人がいて、野球だけの人生だったとする。


もしそうだったとしたら、かなり盲目的でしょ。

たぶん大好きな野球に対しても、かなり盲目的だと思いませんか?


だって、ある一つの視点からしか野球を見れていないから。


もし野球で表現をしたいのなら、野球を360度全方位から観察しなきゃダメなわけ。


野球だけ好きな人が、野球を見れている視野はきっと20度くらいしかない。




もしも、あなたが常識だけに囚われている人だとしたら、

もしも、みんながいい!って言うものだけを信じて生きてきたとしたら、

もしも、みんなが大好きな安心、安定、平凡、学歴、j-pop、月9、ファッション、お金だけを信じてきたとしたら、
かなり盲目的だと思うんです。


誰かの劣化コピーでしかない。みんなと同じなわけ。

おれらは自分と同じ人になんて価値を感じないんだよ。

だから、全部見る。


意味がわからないものとかも全て見るわけ。
たくさんの好きな表現、嫌いな表現を見つけるしかないと思っています。

というわけで、


人生を面白くしたいひとは、変えればいいと思うんだ。
住む場所。付き合う人間。仕事。趣味。



結局、やりたいことをやればいい。

やりたいことで稼げたら最高じゃない??

ちゃす!!