こんにちは!
実は最近新しいことはじめました!!
人生を面白くしたいひとは、変えればいいと思うんだ。
住む場所。付き合う人間。仕事。趣味。
いろいろ挑戦してみればいい。
おれは、もっと人生を面白くしたくて、いきおいあまってスカイダイビングしちゃったよ。
結局、やりたいことをやればいい。
やりたいことで稼げたら最高じゃない??
というわけで本題!
「小説家になりたいのなら、本をたくさん読み、大量の文章をあびよう」
村上春樹さんがあるコラムで、そう書いていました。
上手な文章はもちろん、下手な文章も浴びるように読む。
そうやって、大量の情報に埋もれることで何が起こるか。
おれはその最中で、紛れもない自分を見つけると感じてます。
どういうことか、っていうと
どの文章が上手か下手か、好きか嫌いかは自分で決めるからです。
人間は関係性の生き物。
だから、
自分が上手だと思う表現、好きな表現へ自然に傾倒していく。
そして、下手だと思う表現、嫌いな表現からは自然に遠ざかっていく。
好きな表現、嫌いな表現は人それぞれ。
だから、
好きな表現と嫌いな表現の取捨選択は無限に存在する。
その取捨選択は自分次第だから、そこに個性が投影される。
個性が投影された取捨選択に、紛れもない自分がいる。
取捨選択は無限に行われます。
無限に行われますが、
好きな表現が一つだけで、嫌いな表現も一つだけだったら、絶対誰かと被りますよねf^^;;
もしも、
村上春樹さんの作品だけが好きで、太宰治の作品だけが嫌い。
っていう小説家がいたとする。
そいつの書いた作品って、すごいつまらなそうどだと思いませんか?
つまらなそう。っていうか、村上春樹さんの表現に似た作品が出来上がる。
彼の作品は、ただの村上春樹さんの劣化コピーでしかない。
被ってる。としか言いようがない。
だから、一つに固執することはマジでやばいと思うんです。
一つに固執することは、主人に笑顔で尻尾を振るという追従だし、
自分を劣化コピーに仕立て上げていることなわけ。
例えば、
野球だけが好きな人がいて、野球だけの人生だったとする。
もしそうだったとしたら、かなり盲目的でしょ。
たぶん大好きな野球に対しても、かなり盲目的だと思いませんか?
だって、ある一つの視点からしか野球を見れていないから。
もし野球で表現をしたいのなら、野球を360度全方位から観察しなきゃダメなわけ。
野球だけ好きな人が、野球を見れている視野はきっと20度くらいしかない。
もしも、あなたが常識だけに囚われている人だとしたら、
もしも、みんながいい!って言うものだけを信じて生きてきたとしたら、
もしも、みんなが大好きな安心、安定、平凡、学歴、j-pop、月9、ファッション、お金だけを信じてきたとしたら、
かなり盲目的だと思うんです。
誰かの劣化コピーでしかない。みんなと同じなわけ。
おれらは自分と同じ人になんて価値を感じないんだよ。
だから、全部見る。
意味がわからないものとかも全て見るわけ。
たくさんの好きな表現、嫌いな表現を見つけるしかないと思っています。
というわけで、
人生を面白くしたいひとは、変えればいいと思うんだ。
住む場所。付き合う人間。仕事。趣味。
結局、やりたいことをやればいい。
やりたいことで稼げたら最高じゃない??
ちゃす!!
